悪魔による「憑依」が実際にありうるかについては、フランス国内でも議論がある。エクソシスト達の話を疑問視する人たちによれば、そのような現象は存在せず、相談者が前述したような行動を神父の前で演じているだけだという。
取り憑かれたように見える人は「催眠状態」?
心理学者として臨床に関わり、かつ悪魔祓いを現代精神医学の見地から分析した著作がある西部カトリック大学のイーヴ・クシュネック氏は懐疑派の1人だ。
「確かに悪魔祓いの儀式の際に、白目をむいて普段と違う声で話すケースなどは直接見たことがある。でも私に言わせれば、彼らは目の前の神父に期待されていることを無意識に演じているだけ。『悪魔に取り憑かれた』と確実に判断できる人間など見たこともない」
クシュネック氏の説明によれば、悪魔祓いの儀式に伴うさまざまな舞台装置――教会、聖水、祈祷、僧服に身を包んだ神父達など――によって相談者は「一種の催眠状態」に陥り、一般に知られている悪魔祓いのイメージをなぞってそのような行動をとるのだと言う。
知らないはずの言語を話すケースについても、悪魔がたとえ古代バビロニア語を話したとして、儀式を行う神父自身がその言語に通じていなければそれを判別できるかは確かに疑わしい。逆にラテン語やオランダ語くらいであれば、フランスで生活していれば「それっぽい」まねくらいはできるのではないかという。
「悪魔の責任なら自分は悪くないからね」
クシュネック氏自身は、「神や悪魔が存在するか人間は知りえない」という立場をとる不可知論者である。しかし悪魔祓いという伝統については、人間の性質から説明できるという。
「例えば自分の身に何か不幸があったとき、それを悪魔の仕業だと思えば話は単純になる。悪魔の責任なら自分は悪くないからね。問題と向き合うことを避けようとする人間の弱さから来るものだと思います。『実際に本人の悩みが解消されているのならいいじゃないか』という人もいるのですが、儀式は悪魔の存在を前提にしているので、一度祓ったとしても『また攻撃されるかもしれない』という恐怖に怯えて生きることになる」
悪魔がスケープゴートというのはなんとも皮肉のきつい話ではある。彼らもひょっとしたら地獄で苦笑しているのではあるまいか。
フランス人の教会離れは急速に進んでいるが「現代医学を信頼せずどうしてもエクソシストに相談したい、あるいは臨床心理士や精神科医にもかかりながら、同時に悪魔祓いを依頼する人」が一定数いることをクシュネック氏は嘆息する。
「社会の現代化が進んだように見えても、それは古い時代のものが完全に消え去ったことを意味せず、古い習慣や文化がちょっとしたことで顔を出すものなのでは」