かつて城があった地から真っ直ぐに伸びた大通り、歴史を感じさせる白壁の近代木造建築、町のいたる所にある掘割を優雅に泳ぐ鯉……。島根県南西部の穏やかな山間にある津和野町は、城下町時代の佇まいを残す町並みから“山陰の小京都”と呼ばれ、数多くの観光客が訪れる町として知られている。

 そんな津和野町の中心部を歩くと、突如、ひときわ目をひく教会のような建物が視界に飛び込んできた。

山陰の小京都に突如現れた“異景”

 城下町の一角にそびえ立つゴシック風建築――。“異景”ともいえるような組み合わせにクラクラとしながら建物の中へと入ると、そこは紛うことなき“教会”であった。

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畳が敷かれたキリスト教会

 なぜ“山陰の小京都”に、このような教会が建てられたのだろうか。ささやかな知的好奇心を胸に、隣接する資料館に入ってみる。

 すると、思いもよらず、津和野町の“ヤバい歴史”を知ることとなった。

何人もの殉教者が出ていた地

 津和野町は、信仰の自由が認められていなかった江戸時代後期に、信仰放棄の強要に抵抗を続けたキリシタンが流配されてきた地だったのだ――。

 資料を一つひとつ読んでいくと、流配が行われたきっかけは、海外文明が日本に入ってくる事態に畏怖の念を抱いていた江戸末期の役人が、信仰心を包み隠さず表明した長崎県浦上のキリシタンたちを恐れ、弾圧を行っていたこと。改宗の強要は江戸幕府から明治政府にまで引き継がれたこと。浦上のキリスト教信者約3400人が捕らえられ、西日本の各地に流配されることとなったこと。その地の一つが津和野町だったこと。津和野町では役人からの拷問が行われ、結果的に何人もの殉教者が出ていたこと……。頭が重たくなるような悲惨な歴史が資料に記されていた。