「可哀想と思われるかもしれませんが……」
山根司祭「役人は、改宗した人たちを指導役に任じて、まだ改宗していない人たちを指導するように仕向けたのです。『改宗したら早く浦上に帰れるよ、こんな贅沢な暮らしが送れるよ』と。軋轢を生み出そうとしたわけですね。
当時、津和野で改宗を迫られていたリーダー・高木仙右衛門は後年、「旅(流配)の話はするな」と子孫に語り継いでいたそうです。なぜかというと、皆が浦上に帰ったあと、誰々は改宗した、誰々は最後まで改宗しなかった、あそこの家の祖先は信仰を捨てて我々を苦しめた、あそこの家の祖先は信仰を貫き通した。お互いがそう言い合って対立と分裂が起こることを避けたかったからでしょうね」
そんな高木仙右衛門をはじめ、当時青年だった守山甚三郎らは後に津和野での経験、藩からの拷問によって亡くなってしまった人たちのリストをつくるなど、いくつかの記録を残した。たしかな記録が残っていることが、いまも津和野が流配の地として有名になっているひとつの理由だという。
山根司祭「一般的には、拷問が行われたことを悲しく、可哀想と思われるかもしれませんが、私としては、この人達は自分の信念を貫いたという意味で信仰の模範というふうに見ています。立派な人として尊敬に値する人。学ぶべき方々というんでしょうか。何よりも、迫害があって、命を捧げたことを知るだけでなく、そこから何かを学ぶことが大切ですよね。命を懸けてまで守るものは、自分にとって何があるのかと考えさせられます。記録が残されているおかげで、私達は一つひとつ学びを得ることができるんです。
そして、信仰に生きるとはどういうことか。これは、信教の自由にもつながっていることなんです。彼らが迫害を受けていたことを外国の公使・大使が日本政府に物申して、それによって迫害を受けていた人たちの生活環境が変化し、流配から解放され、最終的には明治憲法において信教の自由が明記されるようになったわけですからね。そういった意味で、この地でかつて起こっていたことが歴史の中で果たした意義というのは大きいのかなと思っています。悲惨な出来事はたしかに起きた。だからこそ、そこから何を学べるのかということですね」
山陰の小京都に残されたキリシタンの歴史は、これからも残され、語り継がれ、私達に学びを与えてくれる。
写真=山元茂樹/文藝春秋
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津和野カトリック教会
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