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 津和野町の教会は、自身の信念を曲げず、殉教することとなった人々の篤い信仰を称えて、ドイツ人のシェファー神父が昭和3年に建立した(現存する教会は昭和6年に再建された)ものだったことも資料館で知った。

教会内部に置かれたキリスト像

 また、津和野に残された“キリシタン弾圧の歴史が刻まれた場所”は教会だけではないそうだ。町外れの山中にある「乙女峠」が、当時、実際にキリシタンたちが改宗を迫られた地であり、弾圧のリアルなさまを現在に伝える建物や碑が数多く残されていると記載がある。

 風光明媚なこの町でいったいどんなことが起こったのか。知りたい。そんな思いで現地へと向かった。

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山中で行われた過酷な拷問

 教会から徒歩15分ほどで「乙女峠」の入り口に辿り着いた。急勾配の山道を登ること、およそ5分で到着したのが「乙女峠マリア聖堂」だ。

山道を登った先に聖堂が見えてきた

 禁教令が解かれた後、かつての殉教者たちを思い、祈りの場として建てられた聖堂だという。聖堂内部の壁画には、イエス・キリスト、そして聖母マリアの足元で、迫害の苦しみに耐えるキリシタンたちの様子がステンドグラスに描かれている。

 そして、その側に位置するこじんまりとした池。

 ここは実際に拷問に用いられていた池だったのだ。旧暦の11月(現在の11月下旬から1月上旬)という真冬。日によっては氷の張るこの池に「裸になって池に入れ」と飛び込まされていたのだという。

かつてこの池で拷問が行われていた

 私たちが津和野を訪れたのは12月。ちょうど旧暦の11月にあたる頃だ。池の水に手を触れる。すると、数秒で指先の感覚が無くなってくる。こんなにも冷たい水中に体ごと沈められる。

 いったい、なぜ、それほどまでに残酷なことが行われたのだろうか。町に残された歴史は本当にすべてが実際に起こったことなのだろうか……。