ビデオ検証「リクエスト制度」がもたらした功罪
メジャーリーグで2014年から導入された「チャレンジ制度」の日本版が、18年から導入された「リクエスト制度」です。ボール、ストライク以外でNPBで決められた基準をもとにした判定について異議がある場合、ビデオ映像によるリプレー検証を、1試合に2度まで要求できます。
しかし、リクエスト制度を要求されるのは審判にとって恥なわけです。我々はジャッジするのが仕事なのに、自らでジャッジする機会を機械に奪われるわけですから。語弊があったらご容赦願いたいのですが、審判にとっては「公開処刑」の心境です。
テレビのリプレー映像で視聴者は真実をわかっているわけですし、スタンドのファン、選手、関係者すべてが真実を求めているわけですから、リクエスト制度に関しては受け入れざるを得ない状況なのは審判員としての共通認識です。
アウトの判定が「リクエスト制度」によりセーフにくつがえったとしましょう。見ているファンのかたは正しい判定に変わってよかったということで終わりますが、審判員は、ミスジャッジ1がカウントされていきます。
本来なら、監督からの抗議対応は審判にとってかなりの腕の見せどころです。リクエスト制度の導入に伴い、機械化が進んで淡々と試合が進んでいく。審判員として腹をくくってグラウンドに立っていたのに、切ない気持ちでいっぱいです。
私は「責任審判」でした。リクエストを受けた当該審判はビデオ映像を見ることはできないので、別の場所に控えています。判定通りだったら「判定通り」と肩を叩きます。ジャッジした当該審判はホッとしますよね。
逆だった場合、「すまないな、判定、変えるよ」。その精神的作業たるや、結構きついものがあります。
私は、「アウト・セーフ」の微妙な判定でファンを敵に回して、新聞に叩かれていた時代のほうが、かえってメンタル面は保たれていました。
年齢差と個人差はあるでしょうが、「真実は真実だから」と、ドライに割り切れるだろう最近の若い審判とは、ジャッジに対する思い入れが違うかもしれません。
リクエスト制度は、審判の威厳を保つという意味で「真実の判定」「審判としてのプライド」双方の側面があります。