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年下の男子生徒から「英語も話せないの?」と言われ……

「ミッツィの英語は、私の日本語よりずっと上手よ」なんて言われても、何のなぐさめにもならない。私が今、「コンニチハ」と「コンバンハ」を教えた相手と違って、私は6年近くも真剣に英語を勉強してきたのだ。

 高校の「スタディホール」(study hall)という、何を勉強してもいい自習時間には、日本が恋しくて、日本の友だちに泣きながら手紙を書いていた。

 あれだけ英会話テープを何度も聞き、繰り返し練習したのに、言いたいことが言えない。友だちに、「日本でテニス部に入っていて、夏の強化合宿では暑さで倒れそうになる」と説明したいのに、英語が出てこない。強化? 合宿? 倒れる?

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 合わせた両手を枕のように片耳に当てて寝るまねをし、自分が倒れるジェスチャー をしても、友だちは首をかしげている。

 身の回りの物も、聞いたことがない単語で呼ばれている。ソファーは couch(カウチ)、冷蔵庫は fridge(フリッジ=refrigerator の短縮形)。

 習慣にも戸惑った。名前を知らない誰かの話を私がホストファミリーにすると、「その子の髪の色は?」「目の色は緑だった?」などと聞かれるけれど、答えられない。

 今でこそカラーコンタクトやヘアダイを使う人もいるが、日本人の目や髪の色は同じことが多いから、そんなことを気にも留めない。

 年下の男子生徒は、「おまえ、英語も話せないの? バカなの?」とまじめな顔で聞く。その子は、英語以外の言葉が存在することを、知らなかったのかもしれない。

 でも、私も同じことを、自分の日記に何度もつづっていた。「私はバカなの?」

 Mitz, Smile! Cheer up! ミッツ、笑って! 元気を出して!

 そう言って、自分を元気づけていた。

隣に住んでいた同学年のメアリージョー(左)と卒業式の際に撮った写真 (著者提供)

誰も話しかけてくれない

 学校の廊下を歩く私を、まるで宇宙人が舞い降りてきたかのように、アメリカ人の高校生たちはじろじろ眺めた。向こうから話しかけてくれる人は、いなかった。

 初めて高校に足を踏み入れた時のことだった。その学期の履修科目をガイダンス・カウンセラーと決めるために、ディーディーに連れられていった。

 私を見つめていたのは、白人ばかり。人口2000人くらいのその町は、今も住民の97%が白人。当時、アフリカ系アメリカ人もヒスパニック系も、見かけたことがない。アジア人は私のほかに、養子として迎えられた韓国系の女の子がいただけだった。

 私から話しかけなければ、友だちになれない。そう思った私は勇気をふりしぼって、Hi! と声をかけてみた。が、言葉を返してくれる人はいなかった。

 ああ、無視された、と思った。人種差別? 日本人だから? 見た目が違うから?

 家に帰ってマムにその話をすると、「声が小さくて、聞こえなかっただけよ。あなたは声が小さいから、私も聞こえないことがある」と言われた。

 アメリカ人は比較的、大きい声で堂々と話す。大きすぎるくらいの声で話してみると、それまで通じなかったことも相手に伝わるようになった。

積極的に話しかけることで、バレーボール・チームの仲間とも親しくなっていった (著者提供)

 声が小さいために相手が聞き取れず、Huh? What? と返されると、ああ、英語が通じなかったんだ、と思い込む。そこで自信をなくし、声はさらに小さく、早口になる。あるいは話しかけなくなってしまう。

 これは私だけでなく、日本人が自分の英語に自信をなくすパターンのひとつだ。ただ単に声が小さいということで、ずいぶん損をしている。

 私から積極的に大きな声で話しかけなければ、友だちができない。

 そう思った私は、それからは学校でも町中でも、知らない人でも、人とすれ違ったら必ず、自分から Hi! となるべく大きな声で話しかけることにした。こちらから声をかければ、たいていの人は笑顔で Hi! と返してくれる。