数々のスクープ写真で知られる報道カメラマンの宮嶋茂樹氏(61)こと不肖・宮嶋は、日本メディアのほとんどが現地入りを躊躇していた3月にウクライナ入りし、4月17日に出国するまで各地で取材を続けた。
5月中旬、不肖・宮嶋は再びウクライナへ。なぜ戦争のない国のカメラマンが戦争を撮りにいくのか。岡村靖幸氏が聞いた。
「反戦運動や反核運動も一緒じゃないか」
岡村 コソボ、イラク、アフガニスタン、さまざまな戦場を取材され、いまはウクライナにも行かれている。実際、どうなんですか? 戦地って、恐怖感はないんですか? 最初は怖かったとかは?
宮嶋 初めての経験は、ルーマニア革命(89年)だったんですが、恐怖感はなかったんです。この頃はまだ、自分らの先輩にベトナム帰りの人が多かったので、ことあるごとにベトナムの話を聞かされて。ジャングルで虫食った、みたいな話を。ま、自慢ですよね。たまたま早く生まれただけじゃねぇか! っていう(笑)。
そういうこともあったので、「これでオレも国に帰ったら自慢できる」っていう下世話な気持ちでした、正直言って。この戦争がどうのというより、初体験済ましたる! という妙な高揚感があって。
岡村 でも、自分の国では戦争体験が「ない」わけじゃないですか。「ない」人間が、他国へ行き、殺し合いの現場を見るわけですよね。
宮嶋 それはもうその通りで、現在のウクライナ戦争もそうですが、自分が取材に行き、写真を撮るのは、不謹慎極まりないものだと思っています。人の不幸で飯を食ってる、という指摘は否定しません。ただ、行って撮った以上は、発表したい。せめて自分が平和な国から来た以上、この平和の国で発表したいという思いがあって。
岡村 複雑な気持ちを抱えつつ。
宮嶋 実は、それをどうクリアするのか、が悩むところ。そこで心が折れ、カメラを手放した人も結構いるんです。ただ、僕は、反戦運動や反核運動も一緒じゃないかと。つまり、戦争のない国のカメラマンが戦争を撮ってなにがわかる、というのは、戦争のない国で反戦運動してどうする、核のない国で反核運動をやってどうする、というのと同じだと。
だから、なおさら、行った以上は発表する。それがせめてもの償いだと。そう自分で納得してやっているんです。