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「外に危険があるとき、自分を救ってくれるのは家族しかいない」国境を超えたウクライナ人女性が痛感した“現実”

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避難中に、友人と連絡を取り合わない理由

 とりあえず、自分の家族を国の外に出すことに皆必死だった。そして今までの経験から他人には言わないようにしていた。世間の目を気にしてというより、避難している途中に危ない目にあうのが嫌で皆黙っていた。そして少し落ち着いてから同僚や友達にも連絡し始めた。

 そして最初の連絡ではかなり心細い感じで「元気?」、「どうしている?」という一言。相手からも一言の返事が返ってくることが多かった。その一言の返事をもらった時のほっとする感じは言葉で表せない。また連絡する時も、相手に迷惑にならないように、「今日は何をしているの?」程度にする。そうすれば相手も答えやすいだろう。

 今回のこの持ち込まれた戦争は非常にトラウマとなる経験である。それがいつになったら回復できるかわからない。体がいつまで覚えているか。

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 ドネツク出身の友達は、2014年5月にドネツクから出た時に子供たちが泣いていたと言っていた。その子供たちが8年成長して、その間にもう1人生まれた。そして24日の朝5時前に空爆が始まると、皆冷静に荷造りして朝8時にもう街を出た。誰一人一言も反対とは言わなかった。

 また知り合いの娘の4歳の女の子はキーウ郊外からドイツに移る間に笑えなくなった。笑おうとしているのに、しかめっ面しかできない。その子の兄の友達が避難する車も撃たれて皆怪我をしたことも知っている。だが今でも自分の家から追い出された理由がわからないらしい。

※続きは発売中の『週刊文春WOMAN vol.14(2022年 夏号)』にて掲載。

国境を超えたウクライナ人

オリガ・ホメンコ

群像社

2022年2月3日 発売

キーウ生まれ。キーウ国立大学文学部卒業、東京大学大学院地域文化研究科で博士号取得。元ハーバード大学ウクライナ研究所客員研究員。現在はキーウ・モヒラ・ビジネススクール助教授、ジャパンプログラムディレクター。著書に『ウクライナから愛をこめて』、共訳書『現代ウクライナ短編集』(いずれも群像社)など。

「外に危険があるとき、自分を救ってくれるのは家族しかいない」国境を超えたウクライナ人女性が痛感した“現実”

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