「厳戒態勢のキーウに入って意外だったのは、日常が続いていたこと。空襲警報が日常的に鳴り、銃声は鳴りっぱなし。それでも街の中ではスーパーが開いていて、シャワーからお湯は出るし停電が起きても2~3時間で復旧する。しかし数キロ先では、実際にロシア軍による虐殺が起きている。そのギャップに『侵略された国はこうなるのか』というリアルを感じた」

 そう語るのは数々のスクープ写真で知られる報道カメラマンの宮嶋茂樹さん(60)だ。2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まり、日本メディアのほとんどが現地入りを躊躇していた3月5日、宮嶋さんはポーランドから陸路でウクライナ入りした。3月12日にはロシア軍が13キロまで迫っていたキーウへ。以降4月17日に出国するまで各地で取材を続けた。(全2回の1回目)

キーウ市内で酒類の販売が解禁された4月1日。再開されたホテルのバーで。客は外国人だけだった 撮影・宮嶋茂樹

◆ ◆ ◆

ADVERTISEMENT

避難民の冷静さに「これがウクライナか」

 現地から届いた全14回の取材ルポには、ロシア軍の攻撃で破壊された首都キーウの街並み、ブチャの大量虐殺の爪痕が克明に記録されていた。

 過去にはイラク、チェチェン、コソボなど多くの戦場を経験してきた宮嶋さんだが、21世紀最大の戦争犯罪といわれるウクライナの戦場は“新しい戦場”だったという。羽田からポーランドへ飛び、陸路で国境をまたいでウクライナ西部のリビウに入った宮嶋さんが最初に目撃したのは、東部から逃げてきたウクライナ人で溢れた駅だった。

リビウの駅は避難民でごった返していた 撮影・宮嶋茂樹

「駅のそこらじゅうで避難民が毛布を敷いて寝ていました。週に数本のポーランド行き列車を待っていたんだと思います。ただ家を追われて逃げてきた人も多いはずなのに、中東の難民のような悲壮感がそこまで漂っていませんでした。というのもリビウの人々が大勢ボランティアで炊き出しでボルシチやヴァリェーニキ(ウクライナの水餃子)を配っていて、避難してきた人たちも落ち着いていた。ずらりと並んだ仮設トイレも清潔で、これがウクライナかと思った」

撮影・宮嶋茂樹

 灯火管制はあるもののホテルではお湯も使え、温かい食事が食べられる。街中はいたるところでWi-fiの電波が飛んでいる。前線から遠いウクライナ西部のリビウとはいえ、日常を維持する人々の冷静さに宮嶋さんは驚いたという。一方で、戦時下ならではの光景もやはり存在した。