「強い国とはこういうものか」
宮嶋さんが拠点にしていたホテルは大統領府から近かったこともあり、窓からは大統領府のまわりに築かれたバリケードが見えた。しかし「ホテルの窓からカメラが見えたら狙撃されても文句は言えない」ほどの厳戒態勢で、撮影は難しかったという。
そんな戦争の気配が色濃いキーウでも、街の人々は意外なほどに日常を維持していた。
「街中のスーパーは開いていて、食品なども豊富に揃っていたのは驚きました。野菜がまっさきに無くなるだろうと思ってビタミン剤を持っていったけれど、全く必要ありませんでした。値段が上がってる風でもなく、コンビニ代わりに重宝しました。禁酒令のおかげで酒の棚がぐるぐる巻きにされて買えないのには参りましたけどね。
カードも使えるしアプリで呼べばタクシーだって来る。停電もせいぜい2~3時間すれば復旧する。400万と言われる人口の半分くらいがすでに避難し、残った人も大半が仕事はなかったんでしょうが、悲嘆にくれるでもなくヤケになるでもなく、ボランティアをしたり戦闘訓練に励んでいたりとにかく淡々としていました」
戦時下の市民生活と聞くと真っ暗な部屋や地下シェルターで息をひそめる光景を思い浮かべがちだが、キーウでは奇妙に日常が生き残っていたという。
「戦争になると、デモ行進をしたり武器を乱射しながらパレードするような国も多いんです。チェチェン紛争でも、グロズヌイの街には反ロシアを声高に叫ぶ人たちがいました。ただウクライナでは、そういった光景は一度も見ていません。ウクライナ人は景気づけに空に向けて銃を乱射したりしないんです。かといって『ゼレンスキー万歳!』と叫ぶわけでもない。東部でウクライナ部隊がロシア軍に投降したというニュースが流れても『死ぬまで戦え』と怒るわけでもなく、落胆するわけでもなく、『仇は必ずとる』と静かに戦いの準備を進める。国民性が強いとはこういうものかと納得しました」