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ハザードランプに銃を持った兵士が浮かび上がり…

「ごく普通の町中で民間人が軍事訓練をしていました。退役軍人が教官で、30人以上の若者に障害物を置いての射撃や、爆発物のよけ方などかなり実践的な指導をしていました。街中の銃砲店はいつも人だかりで『俺に銃を売ってくれ!』と叫んでいる客も多かった」

 宮嶋さんがリビウに入った時期は首都キーウがロシア軍に3方向から攻撃されていた時期で、移動方法が見つかるまで1週間の足止めをくった。なんとか伝手をたどって医療ボランティアの車に同乗し、夜中に街灯も無い道をキーウに向けて進んだ。そこで待っていたのは、数えきれないほど設置されたウクライナ軍の検問だった。

「リビウからキーウまでの間に、検問は100近く通ったと思います。特にジトーミル(キーウから130キロ西にある街)では交差点ごとに検問がある厳重さ。おそらく街中に地雷が仕掛けてあって、ロシア軍以外が踏まないように誘導していたんでしょう。真っ暗な闇の中でハザードランプの赤い点滅に銃を持った兵士たちが浮かび上がるのが不気味でね……。ウクライナ軍が自分たちをどうこうすることはないとわかっていても、銃を持った兵士に車の中を調べられるのはやっぱり怖い」

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 リビウからキーウまでは、平時であれば車で5時間。しかしロシア軍の侵攻地域を避けて南に大きく迂回し、キーウにたどり着いたときには15時間以上が経過していた。宮嶋さんは車の中でGPSで現在地を確認して「こんなに南へ回るのか」と思っていたという。

イルピン市。空爆と砲撃により黒焦げになった集合住宅。ゴミ、がれき問題も深刻である 撮影・宮嶋茂樹

 そして到着した3月12日は、ロシア軍がキーウまで13キロの地点まで最接近していた時期だった。

「キーウにたどり着いてみたら、“音”が西部とはまったく違った。特に街の北側や東側は前線が近く、ひっきりなしに『タタタ』と乾いた銃声が聞こえてくる。大砲の弾が飛ぶ『ヒュー』という風切り音や爆発音もかなり近く感じました。ホテルがウクライナ軍や警察部隊の待機所になってるようで食事時間は周りは銃をもった将兵だらけでした」