日本メディアがウクライナ入りを躊躇する3月2日にいちはやく日本を出発し、3月12日から4月17日までキーウを拠点に精力的に取材を行った報道カメラマンの宮嶋茂樹さん。

 キーウ滞在中はホテルまで銃声が響き、プレスツアーでは地雷や手榴弾の恐怖とも戦った。宮嶋さんがいたショッピングセンターの裏側で爆発があり、海外メディアの女性が死亡したと見られる事件も起きている。

 それでも、宮嶋さんはなぜ戦場へ取材に行くのだろうか。(全2回の2回目。前編から読む)

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防弾チョッキにヘルメット姿の宮嶋茂樹さん 額には「PRESS」という頼りない文字が

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『ロシア語できるんだろ? それなら行かないのはもったいない』

「最初はウクライナへ行くつもりはありませんでした。というのも、パラリンピックが終わるまで侵攻はないと思っていたし、攻撃があるとしても東部だけだと思っていたからです。自分の予想が次々と外れていて、勘が冴えてない時はやはりうまくいかない気がするというか、嫌な予感がしていました」

 宮嶋さんがウクライナ行きを決意したのは、何度も一緒に戦地取材をしたジャーナリストの言葉がきっかけだった。

「『宮嶋、ロシア語できるんだろ? それなら行かないのはもったいない』と言われたんですよ。戦地に行かないのがもったいないという感覚が伝わるかはわからないんですが、自分にとってはそれがきっかけでした」

撮影・宮嶋茂樹

 宮嶋さんの初めての戦争取材は1989年のルーマニア政変、まだ20代の頃だった。以来、イラク、アフガニスタン、コソボなど多くの戦場に駆けつけてきた。危険を犯してまで戦争取材を続ける理由を、宮嶋さんはこう語る。

「戦場は人の命がやりとりされる究極の場所。言わば報道カメラマンにとって最高のステージで、若いころからの憧れの場所でした。とはいえ知識も伝手もない状態では行っても危険なだけ。1989年のルーマニア政変の時から30年になりますが、もちろん今でも戦争は怖いし、先が読めないから常に不安もある。それでもやっぱり『燃える』のは確かです」