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 だが、本土がものすごい勢いで発展した30年間で沖縄との間に生まれた大きな差を埋める努力を、日本政府はしたのだろうか。

 行ったのは、沖縄開発庁という省庁をつくり、予算をつけただけだ。沖縄に何が足りておらず、日本の常識と、沖縄の常識の違いや価値観の隔たりを探る努力を怠ってきたのではないだろうか。

沖縄で何が起きているのかを真剣に考える時が来ている

 今年は、沖縄復帰50年の節目の年だ。日本中のメディアが沖縄を特集している。しかし、そこでは、「日本人が勝手に描いた沖縄像」ばかりがクローズアップされている気がする。

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米軍基地のフェスティバルには、軍関係者や地元住民ら多くの人が訪れる(筆者提供)

 米軍基地の問題にしても、日本にとって、その意味を本気で考えたことがあるだろうか。かつて、アメリカの占領下にあったのだから、基地があるのは当然と決め込んでいないだろうか。

 基地も、貧困も、それが厳然と存在することは認めても、「かわいそう」の一言で片づけてしまい、思考停止をしている。それが、復帰50年の日本がとってきたスタンスだったのではないか。

 一方で、沖縄はもっと声を上げて、本土との格差を埋めて欲しいと求めればいい、という考えの人もいるだろう。私も、沖縄取材を始める前は、そう思っていた。

 唯々諾々と政府に依存するより、自立するために、自分たちが本当に必要な政策を求めればいいのに、と思っていた。

 しかし、アメリカ占領下の30年間、本土でどんなことが起きてきたかを実感できず、どこか「日本に捨てられた」という印象を持たざるを得ない環境にあった沖縄の人にとって、何が必要なのか、どんな対応を政府に求めるのかと尋ねられても、簡単には答えられないのかも知れない。

真山仁氏

 沖縄の地で、様々な人に会い、様々な場所を訪れたものの、これまでずっと抱いていた「沖縄は異国だ」という印象の根源にあるものを、私は未だに理解できずにいる。

 その理解のためには、沖縄で何が起きているのか、さらに、この30年の間に本土では当たり前になったことで、沖縄で実現できていないことは何かを、真剣に考える時が来ている気がする。

墜落

真山 仁

文藝春秋

2022年6月28日 発売

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