新しいメディアであるSNSの怖ろしさとは、火のないところに煙を立たせて大炎上を巻き起こし、社会を惑わせることである。

 だが、その構図は古の時代からあった。噂話や誹謗中傷、時には「美談」ですら、人口に膾炙して、やがて面白おかしく加工されて事実から遠く離れた「とんでも話」となる。

6月に歌舞伎座で『ふるあめりかに袖はぬらさじ』が上演

 SNSが従来のそれと違いがあるとすれば、拡散速度と破壊力だ。インターネットとスマートフォンの合わせ技で、急速かつ波状的に「話」が転がり、人々の心をざわつかせる。

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 コロナ禍で広まった様々なデマや感情的な攻撃、あるいはロシアによるウクライナ侵攻も、SNSがなければ、もっと違った形で受け容れられたかも知れない。

 多くの人は、「とんでも話」やフェイクニュースに振り回されたくないと強く思っているのだが、なかなか呪縛から逃れられないのではないだろうか。

 そう考える人に格好の芝居が上演される。6月に歌舞伎座での『ふるあめりかに袖はぬらさじ』だ。

 『複合汚染』や『恍惚の人』など骨太の社会派小説を書いた作家有吉佐和子が杉村春子のために書き下ろした作品で、「美談」が拡まれば拡まるほど、全く別の話に変わる様を鮮やかに描いていく。

有吉佐和子さん ©文藝春秋

「美こそ玉三郎」とは全く別の「顔」

 舞台は、幕末の横浜の花街。黒船による開国によって外国人も客として遊郭に現れるようになった時代に、一人の薄幸な花魁が失恋し、我が身をはかなみ命を絶つ。

 花街ではありがちの話なのだが、ふとしたはずみで「異人に抱かれるのを拒んだ攘夷女郎の自刃」という「美談」となってしまう。

 病弱だった花魁をいたわり、自死の理由を知っている芸者・お園は、その「美談」づくりに巻き込まれていく――。

 本作の最大の魅力は、これを毒の効いた喜劇で描いている点だ。

『ふるあめりかに袖はぬらさじ』の芸者お園を演じる坂東玉三郎(撮影:岡本隆史)

 しかも、その喜劇の中心人物である冗舌で機転の効く、芸者お園を玉三郎が務めるのだ。

 玉三郎と言えば、世界が認める歌舞伎俳優である。艶やかな花魁から、薄幸な娘、芯の強い女まで、彼が演じるとすべてが、この世のものとは思えぬ美しさで観客を魅了する。

 だが本作では、「美こそ玉三郎」というイメージとは全く別の「顔」を見せる。