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ここでは殺さなければ殺されるのである

 事実ユルゲン小隊は2度敵ドローンに発見され集中砲火を浴びたことがあるのである。その間もひたすら塹壕の中で直撃弾が落ちないことを神に祈り続けたという。そんな隊員には今日の砲撃はまだまだ遠いらしく、この間を利用しハムの缶詰を開けナイフで切り出し回し食いしては腹ごしらえする余裕ぶりであった。

 作戦は日がとっぷり暮れる時間まで続けられる。撤収も速やかにである。機材をどんどん車両につみ、暗視ゴーグルも着けずに出発していく。この夜も降り注ぐような星空を頼りにどうやって地雷原をかきわけているかも分らず、宿舎にたどりついたとたん、防弾チョッキを脱ぎ捨てた。

 たった8時間最前線にいただけで体力的、精神的にこの消耗である。なんとか小隊全員が無事帰投できたのが何よりである。

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射撃訓練中の様子。AK-47が好まれるのは少々泥をかぶっても、砂をかんでも確実に射撃できる安心感からである 撮影・宮嶋茂樹

 しかしこの日、アダム統合部隊ではロシア軍の砲撃と触雷(地雷)で2名が戦死、4名が負傷した。またユルゲン小隊だけでこの4週間で15機ものドローンを失っている。

 この後また星空の下歩いて指令部に出頭、報告のあと、遅い夕食をとり、再び宿舎に戻った頃には日付が変わり、不肖・宮嶋61歳の誕生日を迎えた。前線宿舎で誕生日を迎えるとは報道写真家冥利に尽きるというもんやが、奇しくも「不肖・宮嶋の上官」を名乗られた橋田信介氏が2004年5月末イラクで反米武装勢力の凶弾に倒れた時の年齢も61歳であった。

 ロシア軍の侵攻が始まって早100日、部隊が発足して4週間、小隊の指示通り目標に命中すると、小隊長のユルゲンはあくまで冷静だったが、陽気なマックスは単純に喜び、はしゃいでいた。その下では敵、侵略者とはいえ、人が死んでいるかもしれんのである。そんな態度を非難する資格は日本人にはあるか? 非難する相手はロシアの大統領のほうであろう。ここでは殺さなければ殺されるのである。日本のメディアの間ではまかり通っている愛だの平和だの話し合いなどきれいごとはここでも国際社会でももはや誰も耳を貸さない。理性なんぞ一発の砲弾が簡単に吹き飛ばしてくれる。

 それでも願う。これが最後の戦場であってほしい。いまはつくづく思う、不肖・宮嶋のためにも人類にとっても。

まだ迷彩塗装する間もなく「実戦」に駆り出された中国製の偵察型ドローン 撮影・宮嶋茂樹