夏がくれば思い出す。四方八方に飛び回るハエ。寮に大量発生する巨大なカメムシ。そして、恐怖のミポリン――。
もしかしたら、坂本勇人は今ごろそんな感傷にひたっているのではないだろうか。
今でこそ球界のプリンスとして野球ファンなら誰もが知る存在の坂本だが、プロ野球への扉を開いた場所は青森だった。今回スポットを当てたいのは、坂本が高校時代を過ごした「美保野ワンダーランド」である。
関係者を震え上がらせる謎の生命体
兵庫県伊丹市で生まれ育った坂本は、高校から青森県八戸市にある光星学院(現・八戸学院光星)へと進学している。
八戸といえば、せんべい汁や海の幸が味わえる青森の観光地のイメージを持つ読者もいるかもしれない。しかし、光星野球部のグラウンドがある八戸市美保野は人口257人(2020年4月30日時点)。市街化調整区域に指定されており、ひと気のない寂しい地区である。
高校野球の取材で初めてその地に足を踏み入れた際、衝撃を覚えた。絶えずハエがブンブンと飛び回っていたからだ。
「八戸のハエはでかくて、にぶいんです」
そう教えてくれたのは、現在はヤクルトでプレーしている武岡龍世だった。朝方4時頃、耳元の「ぶーん」という大きな羽音で起こされ、30分以上もハエと格闘したと武岡は無念そうに語った。光星グラウンドの近くに養鶏場、養豚場があり、そのハエが紛れ込んでくるようだ。
「昔は夏場に弁当を食べるとき、ハエを手で払う気力もなくなるくらい練習しました」
仲井宗基監督はそう言って笑った。もしかしたら、坂本もかつてはハエを追い払う気力すら失うほど、この地で追い込まれたのかもしれない。とくに夏場はハエが多く、室内に設置された帯状のハエ取りは絡めとられたハエでびっしり埋まる。
現れるのはハエだけではないと仲井監督は言う。
「寮に巨大なカメムシが大量発生したり、グラウンドにカブトムシが落ちていたり。冬には野生のウサギが走り回っていますよ」
そして、光星関係者の間で恐れられている謎の生命体がいる。その名も「ミポリン」。80年代アイドルを彷彿とさせる愛らしいネーミングとは裏腹に、その凶暴さは関係者を震え上がらせてきた。巨大な羽虫で、刺されると激痛が走る。短期間に複数刺されると皮膚が腫れ上がり、練習への参加すら不可能になる。
仲井監督の娘さんも幼少期によく刺されたそうで、その恐ろしさは指導者の間でも浸透している。選手から「ミポリンに刺されたので練習を休みます」と報告を受けても、「そうか、しょうがないな」と受け入れる。そんな光景が“光星野球部あるある”なのだ。ちなみに「ミポリン」の由来は、地名の「美保野」からきている。その正体はいまだ謎に包まれているが、仲井監督は「ブヨだと思う」と推理する。