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地獄の日々を乗り越えて…阪神・才木浩人、復活を支えた母との3年間の物語

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/07/12

涙ではなく「笑顔」と「ガッツポーズ」で息子の再出発を祝った母

 息子は泣き、母は笑っていた。

 朝から雨が地面を濡らしていた7月3日。そんな悪天候とは対照的な晴れやかな表情でバンテリンドームのマウンドに深々と一礼して足を踏み入れたのは、阪神タイガースの才木浩人だった。

 これが2019年5月12日のドラゴンズ戦以来、実に1148日ぶりとなる一軍での先発。2020年11月に受けた右ヒジのトミー・ジョン手術を乗り越えての復帰戦を迎えていた。

「久しぶりすぎてペース配分が分かっていなくて。2回くらいからバテちゃった」と振り返ったように、初回はアクセル“べた踏み”の投球で今季最速の153キロをマークするなど力で抑え込んで3者凡退。その後は本人の言葉通り、やや失速気味で5回も2死満塁のピンチを背負ったが、なんとか乗り切って1159日ぶりとなる白星を手にした。

 3-0で快勝した試合後の敵地でのヒーローインタビュー。故障を乗り越えて勝利投手となった率直な思いを問われると、もう涙腺のブレーキは利かなかった。

「本当に3年間リハビリで手術もあって、本当にすごくしんどかったんですけど……」

 左手で両目を覆うように涙をぬぐって続けた。「本当にずっと支えてくれた人たちのおかげで今ここにもう1回戻ってこれたので。感謝の思いしかないです」。リハビリを支えてくれたトレーナーや、理学療法士、各部門の専門家……長い道のりに寄り添ってくれ、自分のために時間を注いでくれた人たちにしっかりと頭を下げた。

 多くの人が胸を打たれた瞬間。

 そうやって肩を震わせる背番号35に涙ではなく、優しく微笑みかけていたのは、三塁側のスタンドで観戦した母・久子さん。もらい泣きすることなく「笑顔」と「ガッツポーズ」で息子の再出発を祝っていた。 

才木浩人

 才木が一軍マウンドを離れた約3年間、久子さんは近すぎず、遠すぎずの距離で息子を見守ってきた。19年5月の二軍戦で最初の打者1人に投げただけで緊急降板。翌年11月に手術を受けるまで1年以上も右肘痛との戦いは続くことになった。

「大丈夫?」「今日は痛くない?」。本当ならこんな言葉もかけたかったはずだ。

 だが、久子さんは息子が産声をあげた時から貫く教育方針をここでも変えなかった。

「浩人がケガして痛いと言っても“大丈夫”“生きてる”“歩ける”と甘えさせず育ててきました。浩人の場合、心配すると気持ちが落ちるんです。こっちが心配しちゃうと段々、弱っていくというかね。奮起させた方が良いタイプなんですよ。良い意味でお尻を叩く感じでね」

 電話のコール、LINE送信も極力我慢した。さらにコロナ禍も重なり、手術当日も病院に行くことすら叶わなかった。「心の中では大丈夫かな?と思っているんですけどね……」。何度も顔をのぞかせていた“親心”を抑えながら、ずっと保ってきた距離感を守った。

 才木が術後初めて兵庫県の実家に帰省した時のこと。家事をする久子さんにリビングのソファで地元の友人たちと会話する声が聞こえてきた。“毎朝起きて何かする時にもう痛い”“ドアノブ引くと痛い”“朝から気分が落ちる。起きた時に楽になってないかな……”。

「そういうことを浩人が友達に言ってるのを私は聞いてました。隣にいると自然に聞こえてくるんです。そこで初めて知ることも多かったですからね」

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