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――祝辞をお聞きになった上皇さまや美智子さまから、何かお言葉はありましたか。

山岸 両陛下が私にお近づきになられて、お礼の言葉を賜りました。上皇后陛下からは、紀宮さまのカワセミの論文作成指導に対するお礼のお言葉があって、「紀宮は毎週、山階へお伺いしているのですが、私は、ほとんど何をしているのか詳しくは知りませんでした。本日はじめて、具体的にお聞きでき、研究所でどのような生活をしているのかがわかり、大変ありがたく思います」とのお言葉をいただきました。

2005年7月、映画「皇帝ペンギン」の特別試写会へ臨席された紀宮さま(当時)に、卵や羽毛について説明をする山岸所長(当時)。

「紀宮さまが研究されたカワセミの卵の形状がピンポン玉のように丸いのは、親が誤って産座から蹴り出しても、トンネルのような巣穴では地上に落下する心配がないからだと考えられています。一方で、写真中央のペンギンの卵などの洋ナシ型の卵は、鋭い鋭端部を中心にクルクルと回り、狭い崖の棚から落ちることがないのです」(山岸さん談、写真は山階鳥類研究所提供)

紀宮さまの退職のご決心は固かった

山岸 2005年6月、研究所の講堂で紀宮さまのお別れの会が開かれたとき、「長い間、お世話になりました。できる範囲で鳥類の研究は今後も続けていきたい」という内容のごあいさつをされました。今もグールドの研究は続けておられるようです。紀宮さまは、前述の書籍の出版によって10年以上にわたって続けられたグールドの研究に一応のめどがついたので、研究所をお辞めになるタイミングだと考えられたようでした。

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――それほど、紀宮さまの退職のお気持ちは固かったのでしょうか。

山岸 婚約内定の報道の後、研究所に残っていただくように遠まわしにお伝えはしたのですがそのご決心は固いようでした。紀宮さまは、ご結婚後に皇族のお立場を離れて民間に入られることの重みを真摯に受け止められて、そうした慰留の願い出を固辞されたのではないでしょうか。“下がらせていただいた身”という紀宮さまの元皇族としてのご自覚といいましょうか。

 研究所には長く勤務されたので、もちろん寂しさはおありだったと思います。研究所のあり方や所員であることの意味についてもじっくりお考えになり、ご結婚後もこれまでのように研究論文をしっかりと出せるのかどうかという点も自問自答されたのかもしれません。

 周囲に迷惑がかからないよう、細やかにお気遣いなさる方でした。例えば研究所で紀宮さまは外部からの電話の対応もされていたのですが、そのことについて私が雑誌の寄稿で言及しようとすると、「研究所にご迷惑がかかるといけませんから」と。読者からの電話が殺到するようなことを心配されたのだと思います。

1992年4月6日、山階鳥類研究所に初出勤され、鳥類図譜をご覧になる紀宮さま(当時) ©時事通信社

――紀宮さまがお別れの会のあいさつでおっしゃった「研究はできる範囲で続けていきたい」というのは、どのような形で実現しているのでしょうか。

山岸 例えば2017年には、「2013年7月から2017年5月までの皇居の鳥類相」という研究報告が黒田清子さんが第1著者で「山階鳥類学雑誌」に掲載されています。皇居というのは115ヘクタールもある都心の緑地で、そうした環境にどのような鳥がいるかを調べることは非常に重要ですよね。そしてこれは誰にでもできる仕事ではないし、“研究を続ける”という姿勢を貫いているところが黒田さんらしいと思います。また、現在はグールド図譜解説文の翻訳をされているようです。