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「他のメンバーは親族の法要があってもやりくりしている」

 小咲さんが小口氏とフリークに対して決定的な不信感を抱くきっかけになったのは2022年3月に京都で行われた父親の1周忌に満足に出られなかったことだった。小咲さんは3月6日の1周忌の法要の当日とその前日を休みたい希望を伝えていたというが、前日は夜まで仕事が続き、京都に戻れたのは法要当日の朝だった。小咲さんは集まった親族と父親の思い出話をしたりする時間も取れず、父親っ子だった小咲さんにとって精神的に大きなダメージとなった。

小咲さんの母親に「親の死に目にあえない、こんなことは日常茶飯事です」と伝える小口氏のLINE

「それも細かく聞くと本当の1周忌は日曜日だけだったんですよ。他のメンバーは親族の法要があっても昼のステージは出て夜だけ休みにするとかやりくりしている中で、小咲に対して先輩たちから『土曜日も休む必要があるんですか』という声も出ていました。それで僕から小咲に『ここは出られるのであれば出てほしい、調整して頑張っているメンバーもいる中であなただけ全部休みとなると…』と伝えました」

「拉致監禁したとか言われないように…」

 3月7日以降、小咲さんは「ネコプラ」の活動には参加せず、知人の家を転々とする生活を始めた。それから4月にグラビアイベントで小咲さんを“待ち伏せ”する前にも、小口氏と小咲さんの間ではLINEでやりとりがあったという。

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話し合いの場に現れなかった小咲さんに小口氏が送ったLINE

「電話が通じなくなって1週間程たった頃に、本人から『すいませんでした、話をさせてください』というLINEが来ました。メッセージも残っています。それで3月16日に僕やマネージャーが揃って事務所で待っていたのですが、2時間経っても連絡が来ない、その日は結局連絡がつかず、また1週間くらいして『すいませんでした、もう1回話し合いをさせてください』と。これが最後の機会だからと伝えて3月末に場所を用意したけれど、また連絡が返ってこなくなりその日も話し合いはできませんでした」

 4月に入り、小口氏は小咲さんの出演するグラビア撮影イベントのスタッフから連絡を受け、現場近くで“話し合い”を持ったのち、小咲さんに誓約書にサインをさせている。その顛末についてはこう説明した。

小咲ののさん

「イベントの主催者が『話し合いの場作りますよ』と気を使ってくれて、僕は指定された場所に行きました。小咲さんと交わした契約書には、芸能に関する仕事はこちらで斡旋しますよと書いてあるので、自分で勝手に仕事を入れるのはルール違反だと思うし、そこも含めて話をしないといけないと思っていました。拉致監禁したとか言われないように、場所も会場の隣のビルのカフェのようなオープンスペースで、ドアもなくビルの受付の女性の方からも見える場所でした。連絡がつかなかった理由を聞いても、彼女は『あの時はすいませんでした』の一点張りでした」