主人公は祖父がモデル
――主人公である山本幡男についてはどう表現されましたか?
河井 祖父が眼鏡をかけた痩せた人で、実家の仏壇の写真なんか見ると、山本と似ているんです。戦争中は二等兵として召集され、朝鮮半島にいたらしいんですが、祖父のイメージに寄っていた気がします。あと、祖母と父が引き揚げ体験者で、祖母から引き揚げた時の苦労話はよく聞いていたので、そこをマンガに投影した部分もあるかもしれないですね。
――ラーゲリのシーンが9割以上を占めますが、資料はどうされたんですか?
河井 シベリア抑留の展示をしている平和祈念展示資料館に協力してもらって、手記や資料を見せてもらいました。ラーゲリはとにかく資料がないんですよ。帰国する時に紙一枚持ち出せなかった訳ですから。
――ほかにコミカライズで苦労された点はありますか?
河井 寒さ、飢え、重労働。マンガで表現するうえでは、この辺りは難しかったですね。極寒といえば大雪、飢餓といえば黒パンの取り合い、重労働といえば木材の切り出しとか、さんざん表現され尽くされていて、描いていて面白みがないし、伝えづらかったですね。
あと、山本はラーゲリで句会を主催していたんですが、これも難しかった。俳句は絵にならないから(笑)。句に出てくる燕や虫なんかを描いて、お茶を濁してます。
それから、なんといっても山本の遺書ですね。これは『収容所から来た遺書』というタイトルにもある通り、この物語の肝なんですが、描きにくかったですね。家族への愛情や望郷の思いというのは、絵にならないんです。そこはどう乗り切ったかは、マンガを読んでのお楽しみということで……(笑)。
――逆に、マンガとして描きやすかった、楽しかったのはどの辺ですか?
河井 山本の遺書を仲間たちがどうやって収容所から日本まで持ち帰るか、という部分はマンガにしやすいんです。一種のサスペンスですから。あと、アクチブたちによるプロパガンダも描きやすかった。要は、いじめですから。人が人を攻撃するわけで、得意分野です(笑)。これは、筆が進みましたね。
……考えてみると、マンガにして難しい部分を省いていって、結果として群像劇になったという印象はありますね。ラーゲリの日本兵が苦しんでるシーンは同じことの繰り返しですから、描き分けるのが大変でした。ロシア人の看護婦や、売店のおばさんなんかが出てくると、ホッとしましたから。