美男美女は一人も出てこない
――捕虜仲間たちを描き分けるのは、苦心されたんじゃないですか?
河井 そこは、自分なりにうまく整理できたんじゃないかと思います。それぞれキャラがあって、山本と親しかった坂本省吾が帰国船で酔っぱらって遺書の内容を忘れちゃうとか、いちばん最初に家族の元に遺書を届けた山村昌雄が、実は島根県人会というつながりで頼まれただけで、山本とはほとんど話をしたことがなかったとか、実話ならではのリアリティがありましたから。
――20名も登場すると、顔の描き分けだけでも大変そうですが……。
河井 顔の描き分けについてはそんなに苦労しませんでしたが、スべルドロフスク時代の仲間の松野輝彦と、ハバロフスク時代の仲間の野本貞夫がちょっと似ちゃったかもしれない。山本と一緒に学習会に参加してたりして、キャラがかぶっているんですよ。全体としては、辰巳ヨシヒロの劇画の世界をイメージして描いてました。まさに市井の人々――決して、美男美女は出てこない(笑)。
――河井さんご自身がこの作品の中で好きなシーンはありますか?
河井 ハバロフスク監獄の病院に入院した山本の隣のベッドに、元特務機関員の橋口松男が担ぎ込まれるシーンですね。
橋口「あんたえらいよう喋れますな、ロシア語」
山本「学生時代からやってたんです。左翼運動で中退しましたが…」
橋口「左翼運動……ちゅうと、あんたアカですか。アカのひとがアカの本家本元のソ連で、なんで監獄に入っとるんですか」
山本「なんででしょうね……」
イデオロギー闘争そのものの持つ理不尽さが、この二人のセリフに象徴されている気がします。
――この作品の読み所についてお聞かせください。
河井 ラーゲリという閉鎖された空間に10年以上も抑留されている男たちの日常が延々と続くので、描写が単調にならざるをえない。そこを、手を変え、品を変え、読者が飽きないように構成したつもりです。その辺をご堪能してほしいですね。
――今後の活動、構想についてお聞かせください。
河井 いま興味があるのは、近現代の、ほかの文学作品のコミカライズですね。泉鏡花とか、すごくマンガにしづらい(笑)。まったく違うアプローチをせざるをえない。その面白さがあると思うんです。
河井克夫(かわい・かつお)
1969年生まれ。95年、「ガロ」でデビュー。不条理ナンセンス・ギャグから文学作品のコミカライズまで、幅広い作風を誇る。著書に『女の生きかたシリーズ』、『日本の実話』、『ニャ夢ウェイ1〜4』(松尾スズキとの共著)、『久生十蘭漫画集 予言・姦』、『うつ病九段』(原作・先崎学)など。俳優としても多くのドラマや舞台に出演。