「日本は核を持つべきだと私は考えます」――仏の歴史人口学者で「知の巨人」とも評されるエマニュエル・トッド氏インタビュー。国際社会で日本の平和を守るためには、なぜ再軍備が必要なのか?
トッド氏の新刊『第三次世界大戦はもう始まっている』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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米国の“危うさ”は日本にとって最大のリスク
アメリカの行動の“危うさ”や“不確かさ”は、同盟国日本にとっては最大のリスクで、不必要な戦争に巻き込まれる恐れがあります。実際、ウクライナ危機では、日本の国益に反する対ロシア制裁に巻き込まれています。
当面、日本の安全保障に日米同盟は不可欠だとしても、アメリカに頼りきってよいのか。アメリカの行動はどこまで信頼できるのか。
こうした疑いを拭えない以上、日本は核を持つべきだと私は考えます。
日本の核保有は、私が以前から提案してきたことで、今回の危機で考えを改めたわけではありませんが、現在その必要性は、さらに高まっているように見えます。
日本において「核」は非常にセンシティブな問題だということは承知しています。約30年前に初訪日した際、私が真っ先に訪れたのも広島でした。しかし、そもそも「核とは何か」を改めて冷静に考える必要があります。
核を持つとは国家として自律すること
核の保有は、私の母国フランスもそうであるように、攻撃的なナショナリズムの表明でも、パワーゲームのなかでの力の誇示でもありません。むしろパワーゲームの埒外にみずからを置くことを可能にするものです。「同盟」から抜け出し、真の「自律」を得るための手段なのです。
過去の歴史に範をとれば、日本の核保有は、鎖国によって「孤立・自律状態」にあった江戸時代に回帰するようなものです。その後の日本が攻撃的になったのは「孤立・自律状態」から抜け出し、欧米諸国を模倣して同盟関係や植民地獲得競争に参加したからです。
つまり核を持つことは、国家として“自律すること”です。核を持たないことは、他国の思惑やその時々の状況という“偶然に身を任せること”です。アメリカの行動が“危うさ”を抱えている以上、日本が核を持つことで、アメリカに対して自律することは、世界にとっても望ましいはずです。