文春オンライン

「あの時代の中日の守備は最強だった」名手・赤星憲広が解説する、落合博満監督が8年間で作り上げた“極端な守備隊形”とは

『中堅手論』より #1

2022/07/11
note

 高橋由伸さんは、どちらかと言うと左方向の打球が多かったが、本当に広角に打つバッターで、極端に左右どちらかに寄れなかった。

 中村剛也選手(西武)は長打警戒でレフトはバック、振り遅れたときの対応としてライトは前進のシフトを取った。

 逆に僕が打席に入ると、左方向に寄った守備シフトを取られた。レフトはかなり前。

ADVERTISEMENT

 そしてセンターはかなり左中間寄りに守っていた。

 バットを短く持って、なるべく体の近くまでボールを呼び込んで打つので、ショートやレフト方向にいい当たりが飛ぶ。セカンド方向にいい当たりが飛ぶのは僕の中での危険信号。相手チームもそれを調べ上げていた。ライト線への打球がないと思われていたのだ。

水も漏らさぬ中日の鉄壁の守り

 僕の現役時代、中日は特にデータを活用したであろう極端な守備隊形を敷いてきた。

 メジャー移籍前の福留孝介選手がライトで、アレックス・オチョアがセンター。井上一樹さんの守備固めとして、レフトに英智選手が入った外野陣は「鉄壁」のひとことに尽きた。

 僕が二塁ランナーでいても、いかにして三塁を回るか。強肩でも、少しチャージが弱くて、返球動作が大きいアレックスのところに飛んだときぐらいしか、チャンスがなかった。

 内野は、二・遊間が“アライバ”(荒木雅博・井端弘和)。キャッチャー・谷繁元信さん。

 ショート・セカンド・サードの3ポジションでゴールデングラブ賞を受賞している立浪和義さんは05年のサードを最後に次第に代打の切り札としての出場が多くなったが、そのサードには中村紀洋さん。タイロン・ウッズのファーストも意外に上手かった。「恐竜打線」の豪打が目立ったが、あの時代の中日の守備は最強の布陣だ。とにかく、ヒットにならなかった。

 当時は「竜虎の時代」と呼ばれてチャンピオンフラッグを争った。かたや阪神が03年・05年とリーグ優勝、こなた「落合・中日」は8年間でリーグ優勝4度、2位からの日本一1度。落合中日8年間でゴールデングラブ賞は実にのべ28人を数えた。

落合博満監督 ©文藝春秋

 ──「野球で勝つのは、守りだ」三冠王3度の落合博満さんがノックバットをみずから握って鉄壁の守備陣をつくり上げた。

 現実に落合監督1年目の04年、長い歴史の中でチーム守備率・991というセ・リーグ記録を樹立している(138試合5186守備機会で45失策。19年中日が・992で更新)。

 打者が3割の分、投手は7割。その7割の9割9分をアウトにできる。「野球はやはり守備」なのだ。

中堅手論 (ワニブックスPLUS新書)

赤星 憲広

ワニブックス

2022年4月8日 発売

「あの時代の中日の守備は最強だった」名手・赤星憲広が解説する、落合博満監督が8年間で作り上げた“極端な守備隊形”とは

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー