野村克也監督に唯一の反論
「同点の9回、サヨナラの走者が出た。代走・赤星。そんな感じで起用する。ドラフトで指名してくれ」
「三遊間にゴロを転がして走れ。出塁率と盗塁で1億円プレーヤーをめざせ!」
僕がプロ入りするきっかけと1軍定着のきっかけをつくってくれた野村克也監督だが、 唯一、反論することがある。
「長いプロ野球の歴史で、外野手出身の日本一監督はごくわずか。守備のとき、考えない外野手は監督に向いていない。向いているのは、よく考えているキャッチャーだ」
過去73度の日本シリーズで、日本一監督の出身ポジションは「投手14」「捕手14」「一塁手14」「二塁手5」「三塁手12」「遊撃手9」「外野手5」。
外野手出身の日本一監督の延べ5人は、01年若松勉監督(ヤクルト)、10年西村徳文監督(ロッテ)、11年・14年秋山幸二監督(ソフトバンク)、 16年栗山英樹監督(日本ハム)。
現時点で外野手の日本一監督の回数は確かに少ないけれど、16年~18年のセ・リーグは、高橋由伸監督(巨人)・金本知憲監督(阪神)・緒方耕市監督(広島)・真中満監督(ヤクルト)・ラミレス監督(DeNA)と6チーム中、実に5チームが3年間とも外野手出身監督だった。それだけ外野手が認められる時代になってきた何よりの証だ。
僕が守備に関して熱く語ると、プロ野球記者が目を丸くする。
「赤星さんって、そこまで考えて外野を守っていたんですか……」
野村監督がご存命の間に、一度伝えたかった。
「守備のとき、僕はめちゃくちゃ考えていますよ。扇の要のキャッチャーと真逆の位置にいるわけだから、同じような視野を持っている選手が守っていてもおかしくない。この打者に対してピッチャーは何を投げるべきか、僕はいつも1球1球シミュレーションして動いていた。
ポジショニングがはまったとき、それこそキャッチャーの配球がはまったときと同じように嬉しい。そもそも配球を読めと教えてくれたのは野村監督ご自身じゃないですか」
僕は監督に恵まれた。どの監督も僕を信頼し、ポジショニングを任せてくれた。任せてもらっているからこそ、両翼の選手に指示をしっかりと出さなくてはいけない責任を感じた。
その結果、プロ9年間で6度のゴールデングラブ賞を獲ることによって2度の優勝に貢献できた。外野手の1ポジションだけで1000試合以上出場は、プロ野球史上、僕だけらしい。