ギョッとした場面も…
ギョッとした場面もありました。五輪反対派を描くシーンで、反対派の人たちがまるで異物のように映されていると感じたからです。『SIDE:B』のパンフレットには、河瀬監督が五輪反対派をどんな目で見つめているかわかるインタビューがあった。抜粋します。
《コロナ禍によって自分自身のスペースを作れない不安や恐怖があって、その矛先をわかりやすい誰かのせいにすることで解消しようとしていたんじゃないかと。攻撃対象を見つけることは簡単ですけれど、私はもっとその先に行きたいという感覚にとらわれました。》
私は覚えていますが、五輪開催の是非についての論議は「コロナ前から」ありました。開催経費、不透明な情報公開、猛暑、本当にアスリートファーストなのか問題などたくさん。それらをスルーし、反対派はコロナのイライラを「わかりやすい誰かのせいにすることで解消しようとしていた」って言い草は、あんまりです。
映画ではバッハ会長が反対派に近づき「対話をしようとする」シーンがあるのですが、あれは逆の視点で見ると「セレモニーとして近づいてきたバッハ」にも見える。どちらにもとれるのだが、バッハのすぐ後ろにいるカメラ視点は前者のみ。先日話題になった自画自賛すぎる組織委員会の「五輪報告書」と同じ味わいがしました。
初日舞台挨拶をめぐる「謎」
さて、今回私は大変なミステリーに気づいてしまったのです。それは「初日舞台挨拶」です。これだけの注目作ですから、『SIDE:A』公開時に河瀬監督が舞台挨拶を行わないことには違和感しかなかった。なぜ一般客の前に出てこないのかと。本当に不思議なので、このコラム連載でも取り上げました。
さすがに今回はやるのではと期待していたのですが、初日舞台挨拶の観覧募集は行われなかった。残念すぎる。そこで仕方なく、私は公開初日(6月24日)の通常回に行ったのです。
すると6月25日、スポーツ報知のWEBにこんな記事が。
『河瀬直美監督、映画「東京2020オリンピック SIDE:B」公開で感無量「50年後、100年後の人にも」』
えーーーー!? 初日舞台挨拶をしていた?