『背中の記憶』(長島有里枝 著)
今では名前も思い出せなくなってしまった友達が、カマキリ型のハンドルにしがみついて立ち漕ぎをしている。何台かの自転車は見慣れた景色を蛇行しながら、ゆっくり進んで行く。もう随分前から、あの瞬間に備えて身を硬くしていた。そしてそれは唐突にやってくる。何台かの自転車が一斉に、弾かれるように速度を上げた。車輪の隙間がヒュッヒュッと鳴って、体は風を受けて忙しそうに暴れている。来た、と思った時にはもう遅くて、前を走る自転車とはすでに絶望的な距離が開いている。その中で1番遅い奴の後ろ姿ですら、電柱の先、曲がり角に消えた。覚悟を決めて、サドルから腰を浮かせて力をふり絞っても、果てしなく重いペダルに負けてすぐにへたり込んでしまう。何故こんなにも、自分は自転車を漕ぐのが遅いんだろうという疑問よりも、何故あんなにも、あいつらが速く自転車を漕げるんだろう、という疑問の方が健全だ。それの方が自分を傷つけない。だって小学生だ、まだ傷つく必要はない。でも、小学生は残酷だ。金も目的も持たないくせに、だからこそ、こうして発作のように互いの力を誇示し合っては、その都度そこから誰かを振り落とそうとする。たいした目的地も無いのに、何をそんなに急ぐのか。
開き直ってゆっくり進んだ先に、見覚えのある何台かの自転車が停まっている。それが何台だったかは思い出せないのに、あの嫌な感じは今でも覚えている。仲良く笑い合っていても、いざという時が来ればあっさり置いていかれる。こっちに向けられた、しょうがない奴だなぁという眼差しの先には、なんだか薄気味の悪い線が見えた。それでもその線をまたいで、彼らに近づく。友達だから。
陽も落ちかけた頃、コンビニでおでんを1つだけ買って、溢れそうな汁に気を配ってフタをした。レジ前には、おでん1個を買う小学生の列が出来た。嫌な顔をしている店員から目を背けて、カラシの小袋をつまむ。自分にはまだ早いその黄色はただの飾りだった。いくら子供とはいえ、70円の厚揚げ1つで会計を済ませるのは忍びない。店を出ると、もう外は真っ暗になっていた。これも、なんとなく手にぶらさげた罪悪感のせいか、と思った。昼と夜の間、夕方から夜になる瞬間を見たことがなくて、いつの間に夜が来るのか、いつも不思議で仕方がなかった。気がついたら、いつでもそこに夜が来ている。きっと大人になればわかる、と思っていたけれど、大人になったらそんなことはどうでもよくなった。
駐車場の縁石に腰掛けて、冬の匂いを吸い込んで、おでんの熱を吐き出す。そうしていると、口の周りが温度差で濡れた。鐘が鳴って、駅から流れて来たサラリーマンが足早に通り過ぎていく。自転車置場で、すし詰めの自転車の中から自分のものを迷いなく見つけるのを見て、やっぱり大人は凄いな、と思った。
子供なんだから気にするな、おでん1個だって、変に大人ぶって可愛げがない。そんなことを言われても、子供の頃の方が今よりずっと大人だった。行き場のない思考が、小さな器を持て余していた。どこに居ても、何をしていても、退屈で仕方がなかった。
夜の中を、友達の自転車が散っていく。1人だけの帰り道を、思う存分、全速力で走り抜けた。
この本には、あの時の感情がぴったり書いてある。思い出し過ぎて、記憶が筋肉痛になった。