「AVってなんだ?」「ピンク映画とは違うのか?」「そういえば、ブルーフィルムってあったよな?」とか、そこから遡ってのスタート。で、延々と説明して、ようやく父親がハッとなるみたいな。
ーーその後、家族間の空気が悪くなったりは?
小室 かなりギクシャクしましたよ。でも、私はけっこう体育会系なところがあるので、このまま逃げてもしょうがない、みたいに思って。
めげずにちょこちょこ実家に帰ってたら、そのうちなんとなく元の感じに戻りました。
ギチギチのスケジュールを見て、「これがなくなったら怖いな」
ーー1999年に引退されましたが、次のキャリアみたいなものを考え出したタイミングは憶えてらっしゃいますか?
小室 AV女優を始めて、2年目の97年。22歳あたりで、漠然と「次のステップをどうしよう、なにをやろう」と考え出しました。
ちょうどその頃、デビューから丸2年も作品を出してくれていたメーカーさんの専属を離れて、フリーになるタイミングだったんですよ。「長くできる商売じゃないよ」と社長からずっと言われていたのもあって、AV女優としてのキャリアの終わりが見え始めた時期でした。
それ以前から、不安はあって。事務所のスケジュールボードに、撮影やらイベントやら、スケジュールがぎっちり書いてありましたけど、「これがいつかなくなったら怖いな」っていう。
ーー当時の人気ぶりを考えると、不安を抱いていたのは意外な感じもします。
小室 自分に人気があるのかどうかって、意外と当人ははっきりわからないんですよ。いまみたいに数字できっちり出るわけでもないし。サイン会にお客様がいっぱい来てくれるかどうかでしか、判断できないところがありましたしね。
ーーとりあえず「長くできる商売じゃないよ」という社長の言葉は、時限アラートとして機能していたのは間違いなさそうですね。
小室 「次も考えとけよ」とまで言ってくれてたので、そういう意味では恵まれていますよね。次を考えなきゃという視点で、いろんなものを見るようになっていたから、たとえば取材を受けたらライターさんを見たりとか、現場でもメイクさんや制作さんを見たり。「私は次、なにをやりたいんだろう」ということを考えながら仕事に行くという。
ーー当時、AV女優のセカンドキャリアはどういったものがメインでしたか?
小室 一番多かったのがストリッパー。で、風俗、水商売かな。ぜんぜん違うお仕事を始める方もいらっしゃいましたけど、たいていはバレていましたね。