名前が出すぎていて、「絶対バレるだろうな」と
ーーそうしたなかで、小室さんはライターやメイクさんなど、違う方向に目を向けていた。
小室 これもいま思えばなんですけど、小室友里という名前の大きさというのをなんとなくわかってはいたんだと思います。街中で声を掛けられたりとか、雑誌の表紙に名前が大きめに載っていたりとか。
そういうのもあって、どっちにせよ名前を隠しきれないだろうなって。隠すことができないのなら、うまく使えるほうに進んだほうがいいんじゃないかと思ったんです。
ーー現在はAV引退後も、AVで得た知名度を使う方は多い気がしますが、当時はそうではなかった?
小室 みんな、いかに隠すかという方向だったので。それが可能な時代でもあったし。そのなかでも、私は名前が大きく出過ぎて無理だよな、という感じでした。
ーーご自身としては、一般映画や舞台の方面へ進みたいという想いがあったんですよね。実際、そうされていますし。
小室 はい。とはいえ、お金のことも不安じゃないですか。なので、執筆とかライター業もやれたらなと考えていて。それはAVを始めて2年目で念頭に置いていて、その土台作りとして現役の時にコラムをやらせていただきました。それがきっかけで、いろいろ書くようになって、執筆業だけで月30万円ぐらいいただけていました。
ーー執筆業だけで月30万円というのは、なかなかのことですよね。
小室 はい、そうなんです(笑)。「贅沢しなかったら、月30万円って普通に暮らせるじゃん」って思って。
執筆業を始めて1年半くらいは下積みというか、土台を作ることができたので。知り合いの先輩ライターについて取材を回ったりもして。ほんと、下準備をしておくのはうまかったですね(笑)。
ーーAVデビューして2年目ですから、22歳とかのお話ですよね。自分がその若さの時、そこまで先のことを考えていたかなと。
小室 もともと根回し上手だったのもあるし、「ずっとできる仕事じゃないから、次も考えとけよ」という社長の言葉も大きかったし。
あと、実際に長くやっていけなかった女優さんを見ていて、いつか自分もそうなる存在なんだと、どこかで悟っていたと思います。それで、自分から進んで繋いでいかないとダメかもしれないと動いていたんでしょうね。
写真=鈴木七絵/文藝春秋
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