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藤井フミヤ60歳に「死んだときの出棺の曲は“あれ”じゃない方がいい」チェッカーズ解散を経て…自身最大のヒット曲への“複雑な思い”

7月11日は藤井フミヤの誕生日

2022/07/11
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 解散後、藤井はイギリスに留学でもしようかなどと考え、しばらくはゆっくりするつもりだったという。そこへドラマの主題歌の依頼が舞い込む。これに対し一旦はまだソロ活動をする気はないと断ったが、原作が自分の好きな柴門ふみのコミック『あすなろ白書』と聞くと一転して引き受けた(※4)。こうして生まれたのが「TRUE LOVE」(1993年)である。ドラマとともに同曲は大ヒットし、チェッカーズでも果たせなかったミリオンをソロ1曲目にして実現した。

「TRUE LOVE」(1993年)

「TRUE LOVE」について一時は歌いすぎて封印しようとも思ったが、時を経て《今はもう、国民が歌える曲にしてやれって(笑)》と考えるようになった(※4)。2011年の東日本大震災の直後にも、被災地でこの曲を披露したところ、アコースティックギターでイントロを弾いた瞬間、みんなが涙を流したという。それを見て藤井は、きっとこの人たちは曲を聴いて平和に暮らしていたときの光景が甦ったのだろうと察し、《もはや、それぞれの人の人生の中に入っちゃってたんだな、この曲は》と痛感した(※5)。

「死んだときの出棺の曲は、あれじゃない方がいい」

 それほどまでに人々のあいだに浸透した曲だけに、藤井は、仮にいま自分が死んでワイドショーで流れるなら、やはり「TRUE LOVE」だろうと確信する(※4)。ただ、一方では《『TRUE LOVE』を超える曲を作りたい。死んだときの出棺の曲は、あれじゃない方がいいな、と。でもヒット曲はねらってつくれるもんじゃないからね。そんなラッキーがあればいいな、という程度で》とも語っている(※6)。

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 じつはチェッカーズ解散後、ミュージシャンではなくアーティストと呼ばれたいと思った時期があるという。それはチェッカーズ時代にバックについてくれた先鋭的なクリエイターたちに刺激を受けたせいでもあった。実際、ソロになってからは、音楽活動だけでなく、CGを用いた絵画やデザインでも才能を発揮している。近年は水彩、アクリル、油彩など筆で描く楽しさを覚え、2019年には16年ぶりに個展も開いた(※7)。

 ただ、40代半ば以降は、《人生一芸、じゃないけど、ひとつ柱が立っていたほうがいい》と音楽一筋で行こうと決意を固めたともいう(※8)。職業欄にも「歌手」と自然に書けるようになった。藤井はこの変化について《小説を読もうとすると数時間はかかる。絵や彫刻は見に行くという意思が必要だよね。でも、歌はふと耳に入ってきて、4分で人の人生を変えてしまうこともある。自分が歌ってきた歌の力にようやく気づいたんだ》と説明している(※9)。