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藤井フミヤ60歳に「死んだときの出棺の曲は“あれ”じゃない方がいい」チェッカーズ解散を経て…自身最大のヒット曲への“複雑な思い”

7月11日は藤井フミヤの誕生日

2022/07/11

 歌手の藤井フミヤがきょう7月11日、60歳の誕生日を迎えた。今夕には東京・日本武道館でワンマンライブ「FUMIYA FUJII 60th BIRTHDAY RED PARTY」が開催され、WOWOWプライムでの生中継やネット配信も予定されている。

 藤井はよく知られるように、7人組バンド・チェッカーズとしてデビューした。チェッカーズはもともと、彼が高校2年生のときに、地元の福岡県久留米市で有名だったバンドのメンバーたちと集まって結成したものである。オリジナル曲は演奏せず、アメリカンロックなどのカバーばかりしていたが、藤井のボーカルの魅力もあり、その人気は久留米のみならず福岡市にまで広がったという(※1)。

高校卒業後、国鉄に就職

藤井フミヤ ©産経新聞社

 もっとも、メンバーはみんな、自分たちがプロで通用するとは思っていなかった。解散を決め、最後の記念にとヤマハ・ライトミュージックコンテストに出場したところ、思いがけずジュニア部門でグランプリを獲得する。このとき藤井は高校を卒業し、父親の勤務する国鉄(現・JR)に就職していた。

 受賞後には当然、プロへの誘いもあったが、すぐには上京しなかった。このまま東京に出ても売れるとは思えなかったし、それに藤井の弟の尚之を含む年少のメンバーはまだ高校生だったからだ。そこで上京するにもせめて彼らが卒業するのを待ってからにしようということになる。そのあいだ、国鉄勤務のかたわら、楽器店のリハーサルスタジオでバンドの練習をした。そうやって2年待った末、7人そろって上京し、1983年9月、シングル「ギザギザハートの子守唄」でデビューする。ただしすぐには売れなかった。

「ギザギザハートの子守唄」(1984年)

「ギザギザハートの子守唄」はもともと作曲家の芹澤廣明が、チェッカーズについて「ゆるやかなテンポで始まるよりも、もっと強烈な個性のある曲でデビューさせたい」と考え、以前、俳優の真田広之のために書いてボツになった曲を持ってきたものだという(※2)。康珍化が作詞した「ちっちゃな頃から悪ガキで~」という歌い出しもインパクト大だった。ただ、それまでアメリカンロックをやっていたメンバーにはあまりに歌謡曲っぽく思われ、「これって昔、小林旭さんが歌ってた曲ですか」と聞いたほどだった(※3)。

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