KinKi Kidsと打ち解けた瞬間
それも3~4カ月経った頃、バンドのメンバーだけで憂さを晴らしていたところにKinKiの2人が加わり、一緒に食事をするようになると一気に打ち解けたという。きくちのほうでも、かつての深夜放送での吉田の軽妙な話術をテレビで再現したいと、自然としゃべる機会が増えるよう、番組のなかで彼がKinKiの2人にギターを教えるコーナーを設けた。これがハマり、ようやく吉田のしゃべりが本調子になっていく。
吉田としても2人がギターを弾けるようになる過程を見られたこと、さらにそのなかで彼らのほうから自分たちミュージシャンに飛び込んできてくれたことがうれしかった。また、苦手だったトークも音楽と同じくセッションだと思うようになる。こうして番組にジョイント感が出てきて、いつしか吉田は『LOVE LOVE~』のなかでまさにバンマス的な役割を担うようになっていたのである。
先述のとおり、かつて吉田はテレビ嫌い、マスコミ嫌いと公言してはばからなかった。マスコミに対しては、初めのうちこそ既成の体制として茶々を入れるというようにポーズにすぎなかったのが、そのうち取材を受けても記者が本当のことを書いてくれないので、心底嫌いになってしまったという。テレビ局も、センスも愛想もなく音楽とはそもそも無縁としか思えない人間ばかりで、出るたびにいやな目にあっていた。
こうしてマスコミに対し不信感を募らせる一方で、芸能雑誌から表紙への登場やアイドルとの対談を依頼されると面白がって引き受けた。歌謡曲の歌手やアイドルのために楽曲を提供することも多く、森進一の「襟裳岬」やキャンディーズの「やさしい悪魔」などのヒットを飛ばしている。
「意外と面白いね、今の十代の連中」
吉田に言わせると《東京へ出てきてからの音楽活動で何が楽しかったって、アイドルの作曲ほど楽しいものはなかった。アイドルたちと一緒にスタジオに入って作業する。「歌って、こういうふうに歌うんだよ」なんて教えるときの気持ちよさといったら、もう(笑)》ということらしい(※5)。その快感が、のちのちKinKi Kidsと一緒に音楽をやることにも案外つながっているのかもしれない。
ただ、ある時期まで、フォークソングやロックの世界と芸能界はまったく別の世界だった。それだけに、吉田をフォークの神などと崇めるファンには、彼がアイドルと仕事をすることは一種の裏切りに見えた。吉田は、そうやってジャンルや過去の曲のイメージといった枠に自分を押し込めようとするファンに対しても反発し続ける。彼としてみれば、フォークに特別な思い入れはなく、単純に音楽が好きで、常に新しい曲をつくっていたいだけなのに、それを理解してくれる人がファンにもメディアにもなかなかいないのでしょっちゅう苛立っていた。
しかし、そんな状況も『LOVE LOVE あいしてる』の頃には変わっていた。テレビ局では若い音楽好きな人たちが番組をつくるようになっており、若い共演者たちも昔からのファンとは違い、先入観なしに接してくるのもうれしかった。KinKiの話を聞いていても最初はまったくわからなかったが、日常会話を通してだんだん彼らのことも、興味の対象も自分たちおじさんとは違うということもわかってきた。《そこから、僕らの十代の研究が始まってですね、「もう分かんなくていいよ、あんな連中」って感覚でいたのが、「あ、意外と面白いね、今の十代の連中」となって、もっと知りたくなってきた》という(※4)。