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 じつは吉田は50歳になったとき、若い頃の成功や失敗もすべて過去に置いていこうと決め、人間関係も整理し、そのうえで今後の自分を支えてくれそうな人たちだけを集めてハワイでパーティーを開いていた。そしてこれを機に「過去を振り返るだけの企画にも乗らない、過去を振り返るだけの番組にも出ない」と決める。それこそが自分が長生きする秘訣だと思ったからだ(※2)。『LOVE LOVE あいしてる』は奇しくもそんなタイミングで始まった。

吉田拓郎がKinKi Kidsに贈った言葉

©文藝春秋

『LOVE LOVE~』のレギュラー放送が2001年に終わったあと、吉田は雑誌でKinKi Kidsの2人にメッセージを寄せた。そこには彼らとの出会いにより自分の人生観は大きく変わったとして、次のような文章がつづられていた。

《光一、剛、二人の若者はその時二十歳前の少年だった。
CDデビューが近いとの噂はあったが、まだプロのアーティストとは言えない
このKinKi Kidsが出会った瞬間から僕をとりこにしてしまう。
この若者は実に心やさしい。
この若者は見事に自分たちを真っ正面から表現している。
この若者はおごり高ぶる生き物では決してない。
その昔、僕は若いがゆえに「はなもちならない生き物」だった事を思い出し
大いなる反省と共に、心も新たに
「KinKi Kidsと一緒に夢をもう一度見てみよう」と
自分に強く言い聞かせたのだった。》(※6)

 吉田拓郎がなぜアーティスト活動を終えるにあたりKinKi Kidsとの共演を望んだのか、これを読むとよくわかる。

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 かつてファンから崇められていた頃の吉田は、自身でも世間のイメージに合わせて発言したり振る舞ったりするところも多々あったという。それが90年代に入ったあたりからできるだけ等身大であろうと努めるようになった。そのなかで、旅行そのものより旅行の計画を立てたり荷造りすることが好きだったり、また整理整頓も大好きなことなど、それまでのイメージからすれば意外な性格も明かしている。荷造りについては、旅行の1カ月前からスケジュールを立てたうえで始めるというから、半端ではない。

 そんな人柄を知ると、76歳にしての活動終了も、彼が綿密に今後の計画を立てたうえで出した結論なのだろうと思えてくる。今夜、KinKi Kidsらを相手に“踊るバンマス”吉田拓郎が有終の美を飾る姿をしかと見届けたい。

※1 「とれたてフジテレビ」2022年6月25日配信
※2 吉田拓郎『もういらない』(祥伝社、2002年)
※3 石田伸也『吉田拓郎 疾風伝』(徳間書店、2009年)
※4 『週刊文春』1999年7月8日号
※5 『すばる』2010年3月号
※6 『月刊アサヒグラフ person』2001年11月号
このほか「Musicman インタビュー 第67回 きくち伸氏」(2009年3月17日配信)なども参照しました