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なぞなぞの分類その2 比喩型

 古典なぞなぞでいえば「下は大火事、上は洪水、これなーんだ?」というのがこのタイプに当たる。答えは「お風呂」である。でももう五右衛門風呂なんてどこでも使わないから、今の子どもたちにはもう意味不明のなぞなぞになっているのかもしれない。まあともかく、実体のあるものを別の何かになぞらえるタイプのものが比喩型である。ギリシャ神話で有名なスフィンクスのなぞなぞ「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足、この生き物は何だ?」も比喩型だ。答えは「人間」。人間の一生を一日になぞらえて、ハイハイをする赤ちゃんは四本足、大人になると二本足、老人になると杖を突いて三本足になるという見立てである。

問題 汝は数多に灯る光の中からただ一つを選び、頭を深々と下げて、天より降り来たるものをその手の中に受け取った。さあ、汝はいかなることをしたのか、答えよ。
答え 自動販売機で買い物をした。

 自動販売機で買い物をするときは、コインを入れて光るたくさんのボタンの中から一つを選び、体をかがめて足元の取り出し口から受け取る。そんなごく普通の動作をまるで聖書かファンタジー小説のような文体で書くことで、なんだか神々しい宗教的行為でもしているように見せかけて解答者を惑わすというテクニック。日常的な行為を非日常的な行為に見立てて、まるで別世界の話のように語ってしまう。比喩型なぞなぞは、日常を離れた世界観と親和性が高い。

 そして比喩型なぞなぞを使いこなすときに重要なのは、「属性のランキングを変える」こと。世の中のあらゆる言葉は複数の属性を持っている。トマトという言葉には、「食べ物である」「野菜である」「おいしい」「赤い」「丸い」「苦手な人も多い」「回文である」などの属性がある。そしてそれぞれの属性には重要性のランクがある。社会一般においては、より多くの人の役に立つ属性ほど重要視される。一般的に、トマトの最重要属性は「食べ物である」ことだ。この属性を認識できなかったら誰もトマトを食べられない。健康を気にする人には「野菜である」属性が、静物画を描こうとしている人には「赤い」属性が、パーティー用のサラダを作ろうとしている人には「苦手な人も多い」属性の重要度が増すだろう。属性の重要度は、その場の状況によって自在に変わる。

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 そして「回文である」という属性は、社会一般における重要度は低い。何の役にも立たないからだ。しかしなぞなぞを作るときは、こういう重要度の低い属性に注目し、それを最重要視してみる。解答者はなぞなぞの世界の中でどういう属性ランキングが成立しているかわからないから、一般社会の属性ランキングに照らし合わせて考えてしまう。そうなるといくら頭をひねっても答えがわからない、ということになる。「なぞなぞが解けない」とはつまり、「言葉の属性ランキングの見極めに失敗した」ということなのだ。

 先ほどにも書いたように、なぞなぞは答えからまず考える。なのでまずは日常にあふれているあらゆるモノや行動の「属性ランキング」を見極め、重要度の低い属性にスポットライトをあててみることになる。自動販売機で買い物をする際の一連の動作の中で、「たくさんの光の中から一つを選ぶ」や「頭を下げる」という動作の重要度は低い。一般的に最重要なのは「お金を入れる」ことか「商品を取り出す」ことだろう。だからこそ、いつもしている動作であっても意識の外にはずれてしまう。その心理を衝くわけだ。これは手品師が右手をひらひらと挙げて注目させておいて、その隙に左手で種を仕込むのと似ている。なぞなぞとは言葉の手品なのだ。

問題 ハンドルを握ったまま歩道を駆け抜けていたのにパトカーに止められませんでした。なぜでしょう?
答え 自転車だったから。

「ハンドルを握ったまま」というぼかしたフレーズだけで自動車を連想させたところで、実は自転車だったという落ちにする。これも「属性ランキング」の心理を衝いた比喩型なぞなぞ。でも最近自転車の規則が変わったので今はたぶんパトカーに止められるようになったはずで、せっかく作ったなぞなぞが一つボツに。こういうこともたまにある。