阪神の青柳晃洋投手が7月15日の中日戦で6回1失点と好投し、両リーグ最速で10勝(1敗)に到達した。勝ち星のほか、防御率1・37、90奪三振の好成績で投手三冠を射程に捉える。2016年にドラフト5位で入団した横手投げの右腕は今や、押しも押されもしない阪神の大黒柱になった。
元中日監督の谷繁元信氏は自身のYouTubeチャンネルで今季の順位予想をした際に青柳について「まだエースじゃないでしょう」と論評していたが、6月28日公開の動画では一転「エースだな、これは。すみませんでした」と“謝罪”した。数か月で元監督の評価を一変させるほど、急激な進化を遂げている。
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タニマチのお座敷がなかった2年間
青柳は神奈川・川崎工科高時代に甲子園出場はなく、大学は六大学でも東都でもない首都大学リーグの帝京大に進学した。プロとしてもドラフト下位入団で、正真正銘の「雑草」だ。
プロ3年目まではトータルわずか9勝と伸び悩んだ。特に3年目の2018年はわずか4試合の登板で1勝。大卒でのプロ入りだけに、戦力外も頭をよぎったという。
矢野燿大監督が就任した19年、9勝を挙げて自身初の規定投球回到達が転機となった。7勝の20年を経て東京五輪の日本代表にも選出された昨年は13勝6敗と一気にブレーク。その一因には新型コロナウイルス禍があったとの指摘がある。
「阪神では若手が伸びてくるとタニマチがついて、遠征先などでも食事に連れ回されます。オフにはテレビ出演などでメディアにも、ちやほやされる。人気球団だけに誘惑は多く、少し成績を残しただけで勘違いし、大成できなかった選手は少なくありません。ところが、青柳が9勝を挙げた翌年(20年)はコロナでトレーニングの妨げになるイベントは軒並み自粛となりました。(18年オフには)小学時代の同級生と結婚し、落ち着いてもいました。選手として一番大事な時期に野球に没頭できた。それが昨年と今年の活躍につながっていると思います」(NPB監督経験者)
さらに青柳は好成績にも満足せず、球種を増やしたり、制球を磨いたりした。
「苦手だった(投ゴロを処理した際の)一塁への送球をワンバウンドにして克服するなど、なりふり構わずに努力できる」(同前)
このひたむきな努力が根底にあるものの、飛躍を後押ししたのがコロナだったという見方も一理あるようだ。前出の監督経験者は改めてこう語る。
「いつ消えてもおかしくなかった」