素顔は素朴で相撲が大好きな青年
不幸も相次いだ。昇進前の1月には近大相撲部の伊東勝人監督が急逝。新十両昇進前だった17年1月には富山商高相撲部の浦山英樹監督も他界しており、力士としてオヤジのような存在を失った。20年11月の九州場所限りで近大の大先輩でもある高砂親方(元大関朝潮)が定年を控え、師匠も交代した。元大関のある親方はこの時期に「力士というものは、この人には頭が上がらないという存在が必要。番付が上がれば上がるほど大事になる。朝乃山は今からだな」と話していた。
はからずも半年足らずのうちに問題が発生。処分期間中の昨年には6月に祖父、8月に父・石橋靖さんが亡くなった。靖さんは優しい笑顔と控えめな物腰が印象的で「まだまだ未熟なところがあるので、どうかよろしくお願い致します」と息子の成長と出世を誰よりも願っていた。
「キャバクラ通い」のイメージが先行したかもしれないが、朝乃山の素顔は素朴で相撲が大好きな青年だ。昔の相撲界の逸話を記者に聞いて興味深そうにうなずき、故郷の富山県での思い出話になるとゆっくりとした口調で語り続ける。一連の処分を受けてほどなく、自ら炊事場にやって来て「自分にも何かできることはありませんか」と古参力士のちゃんこ長に申し出て、自ら野菜を切るなどもした。
一人残って土俵の砂に何度も足の裏をこすり付けていた貴乃花
部屋のメンバーは「やってしまったことは悪い。でも本人は反省しています。なのでまた温かく見守ってやって下さい」と口をそろえる。許されるものではないとはいえ、あの愚行はまさに「魔が差した」としか思えない。新弟子時代から見てきた身としては、だからこそ悔やんでも悔やみ切れない。
そして大きな関心は「復活なるか」だ。けがと病気で序二段まで落ちた照ノ富士は復帰から2年半で横綱に昇進。朝乃山の場合は肉体的に問題がなく、相撲勘さえ取り戻せば再起は順調だと予想する。1年以内で幕内に戻り、その半年後に三役、そして半年から1年かけて大関返り咲き……。あくまでこれは机上の計算に過ぎない。
まずは処分の経緯が精神的に尾を引き、後ろめたさが残るとすれば本人は無心で土俵に上がれるか。全休期間は照ノ富士より2場所も長く、ブランクの影響も気にかかる。私の記憶に残るのは02年秋場所初日。右膝のけがで7場所連続全休明けの横綱貴乃花は恒例の協会あいさつが終わり、他の横綱、大関陣や三役力士が引き揚げる中、ただ一人残って土俵の砂に何度も足の裏をこすり付けていた。満員の両国国技館はどよめきに包まれた。本人は後に「無意識のうちだった。実際に土俵に上がると、足の感覚が全く違っていたから」と述懐している。本場所の一番は稽古場の何番にも匹敵するといわれ、ましてや朝乃山は元大関として三段目に負けるわけにはいかないという重圧が重なる。春場所初土俵でスピード出世の大学、高校相撲出身者が上位から下位に多く控えている点も侮れない。