大相撲の横綱白鵬が昨年9月末に現役引退を表明してから3カ月が過ぎた。優勝45度、通算1187勝など史上最多、空前絶後の大記録は燦然と輝く。一方で晩年の粗暴な取り口や物議を醸した言動は「横綱の品格論」まで呼び起こさせた。打ち立てた実績は文句なし。ただ一時代を築いた大力士で、これほどまでに評価が分かれる存在はかつていただろうか。栄光、数奇、矜持、悲哀、孤独……。さまざまな言葉によって紡がれる白鵬の類いまれなる足跡をたどってみた。
「鬼になって勝ちにいくことこそが、横綱相撲」
2021年10月1日、東京・両国国技館。大型で非常に強い台風16号が伊豆地方や東日本の太平洋沿岸に接近し、朝から天気は荒れた。夏の最後の名残と荒天を思わせる生ぬるい風が吹く日に、白鵬の引退記者会見が開かれた。
ここで最も印象に残る言葉が会見終盤でこぼれ出た。「横綱とはどんな存在だったか」との質問に対し、84場所と最も多く、最も長く最高位に君臨した男は言った。
「土俵の上では鬼になって勝ちにいくことこそが、横綱相撲と考えてきました」
私が知る限り、白鵬はそんな人ではなかったし、そんな人でもないはずだった。性格は穏やかで人懐っこく、心は広くて懐も深い。一度でも直接会ってゆっくり話したことがある人は、恐らく同じような感想を抱くだろう。いわゆる「仏」が「鬼」を標榜するに至ったのは何ゆえか。色白で温和な表情から発せられた「鬼になる」とのセリフには何とも言えない違和感があり、とても本心とは思えなかった。
白鵬を初めてじっくりと取材したのは、03年11月22日。一年納めの九州場所14日目だった。ここに至るには、多くの周辺からの推薦があった。ちなみにこの場所は大関栃東が横綱朝青龍との2敗同士による千秋楽相星決戦を制し、2度目の優勝を遂げた。朝青龍はまだ23歳だった。