「横綱にはなる。注目は大横綱になるかどうか」 

 十両を2場所で通過し、あっという間に駆け上がった幕内でも壁はほとんどなかった。19歳から20歳となった白鵬はすぐに三賞と三役の常連となり、横綱朝青龍や魁皇、千代大海、栃東、武双山らの大関陣と互角の勝負を展開。この頃になると「横綱にはなる。注目は大横綱になるかどうか」とまで言う親方もいた。ほんの少し前まで知る人ぞ知るホープだった少年は、もはや誰もが認める近未来の大横綱候補にまで成長していた。

 2006年に入ると初、春場所と関脇で続けて13勝2敗の好成績をマークした。初場所は優勝の栃東と1差、春場所は朝青龍との優勝決定戦に敗れたが同点。場所後に満場一致で大関昇進が決まった。右膝が地面すれすれになるほど柔らかく折れた立ち合いから左前まわしを引く取り口に磨きがかかり、逆転勝ちの多かった10代に比べると、鋭い攻撃で前に出る相撲へと変ぼうを遂げた。当時から往年の強豪力士の映像研究を欠かしておらず「今は千代の富士関と琴錦関をよく見ている。左前まわしの取り方と、ものすごく速い動きを見習いたい」と話している。

「新大関白鵬」が正式に誕生した06年3月29日の朝に感じた衝撃は、15年以上が過ぎた今でもはっきりと覚えている。

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大関昇進の頃の白鵬 ©文藝春秋

「若貴兄弟」の時代にクローズアップされた昇進伝達式

 宮城野部屋が春場所の宿舎として構えていた大阪府堺市の施設から車で数分のところにある西本願寺堺別院。ここで大関昇進伝達式が行われた。部屋宿舎では後援者や報道陣を収容しきれないため、特別に場所を設けた。昇進を告げる日本相撲協会の理事と審判部の親方1人ずつが使者として出向き、金屏風の前で師匠夫妻と並び正座。「謹んでお受け致します……」から始まる恒例の口上を述べる荘厳な儀式が昇進伝達式だ。貴乃花と3代目若乃花の「若貴兄弟」が横綱、大関になった際に「不惜身命」「一意専心」など格調高い四字熟語を入れたあたりから、より一層クローズアップされるようになった。