「これは駄目、これも駄目だよという場面の連続」
対戦相手の顔にかざした左手をフェイントにし、白鵬は立ち合いで右肘を顔面に思い切りぶつける。左右で大振りの張り手を浴びせ、勝負の左小手投げは両腕で相手の右肘をへし折りそうなほどにねじり、絞り上げながら転がした。勝った瞬間はテレビ画面越しでも聞こえる絶叫、そして右腕を振り下ろしながら両手でガッツポーズ――。
これがラストと心に決めた昨年7月の名古屋場所千秋楽の大関照ノ富士戦だ。9年ぶりに実現した千秋楽全勝決戦は別のスポーツか格闘技のような内容だった。審判部のある親方は「これは駄目、これも駄目だよという場面の連続。新弟子教育用の教材で使えるほどだよ」と苦笑いした。それでも勝った。現役最後の場所は一度も負けることなく、第69代横綱白鵬は史上最多記録をさらに更新する45度目の優勝とともに土俵を去った。
「野球だったら右バッターが左バッターになるようなもの」
進退を懸けた昨年名古屋場所の15日間には、白鵬という力士の全てが凝縮されていた。まずは研ぎ澄まされた相撲勘。新型コロナウイルス感染による全休を含む6場所連続休場明けで、申し合いは場所直前に再開するというぶっつけ本番だった。3月に手術を受けた右膝の状態は完治まで1年を要するほど悪く、初日前日の稽古では幕下以下の力士に完敗した。序盤戦から負けが込めば即引退というピンチと背中合わせだった。
それにもかかわらず、若手の動きに反応で上回る。初日の小結明生戦では投げの打ち合いで相手の右外掛けの位置が高いと察知するや否や、跳ねあげるような左掛け投げを打ち返した。4日目の隆の勝戦は背中を向ける絶体絶命の展開で追撃の相手から逃げるように体を離し、突き落としで際どく逆転勝ち。右膝に故障を抱えた36歳とは思えない身のこなしだった。
さらには右脚への負担を軽減させるため、踏み込む足を従来の左から右へ変えた。相手の当たりを受け止めて踏ん張る軸足を左にするためだった。白鵬は「野球だったら右バッターが左バッターになるようなもの」と例えるほどで、常人ではあり得ない発想の転換だ。思い起こせば横綱昇進3年目で24歳の春。全盛期への扉を開けようとしていた時期に独自の理論を語っている。