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自分は勝ち続けるしかないとの結論にたどり着いた理由

 素顔の白鵬はこんな勝利至上主義の横綱ではなかったはずだ。「お相撲さん」を体現する優しさで東日本大震災などの被災地へ出向き、汗だくになって1日に2度も土俵入りをこなしたこともある。競技普及と子供たちのための相撲大会は長年開催。土俵の上でも下でも温和だった。

朝青龍 ©文藝春秋

 憎めないもののお騒がせだった朝青龍と違い、同じモンゴル出身なのに日本人力士以上に大相撲の歴史を学んだ。実績も重ねた。だからこそ時折顔を出す不用意な言動が招く周囲の失望感による反動は大きかった。ゆえに角界内外の評価は思うほど得られず、ならば自分は勝ち続けるしかないとの結論にたどり着いた。かち上げに似た肘打ち、大振りの張り手など横綱らしからぬ策を乱用したのは必然で、現役最後の一番がその集大成となった。

 ただ「型をもって型にこだわらず」と泰然自若の考えで双葉山の相撲を志向した白鵬を知っているからこそ、土俵上で雄たけびを上げて握り拳を振り下ろす姿は率直に見たくなかった。もっと言えばここ数年の殺伐とした取り口は、伝統文化や神事の要素とおおらかさを併せ持つ大相撲本来の良さからは遠く離れていた。

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全ては物事の始まり。お相撲さんは結びだらけだ

 通算最多勝利記録更新を控えた5年前の夏。白鵬は「結び」という言葉をテーマにゆっくりとした口調で話した。

「結びの一番は最後に横綱が出てくるものだが、それは始まりだということを知った。縁結び、まげを結う。まわしや綱も結ぶように締める。全ては物事の始まり。お相撲さんは結びだらけだ」

白鵬 ©文藝春秋

 19年9月に日本国籍を取得し、間垣親方となった。いずれは部屋の師匠になって多くの弟子を育成するはずだ。3月に37歳の誕生日を迎えるが、日本相撲協会定年の65歳まで28年間もある。約20年に及んだ現役生活よりも長く、今までのように相手を倒すのではなく理解し合う協調性が求められる。「大相撲と出会ったことが私の全て。本当に感謝している」との思いを失わなければ、道はやがて開けてくる。白鵬にとっての「結びの一番」は、終わりではなく、長い旅路の始まりを意味しているのだ。

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