「肌もピカピカで体もきれい。人気も出るよ」
初取材の1年前までは、戦後の大相撲を彩った「柏鵬時代」と同じ響きでスケールの大きな四股名を名乗るモンゴル出身力士という程度の認識しかなかった。それが場所を追うごとに評判は自然と耳に入ってきた。幕下以下の力士を監督、指導する若者頭の1人からは「宮城野部屋の白鵬っていうの、どう? 今は細いけど、もしかしたら、もしかするかもよ」との壮大な予測も聞こえた。何よりも同部屋で当時唯一の関取だった光法は顔を合わせるたびに力説していた。
昨年7月に47歳の若さで逝去した好漢は酒豪かつ冗談好きだったが、白鵬の話題になると口調は真剣味を帯びた。まだ三段目の頃から「うちのダワ(愛称)はものすごい力士になるよ。どこまで強くなるか想像がつかない。稽古場で胸を毎日出している俺だから分かる。肌もピカピカで体もきれい。人気も出るよ。今のうちに先物買いをしておいた方がいいよ。間違いないから」などと力説。初めて話題に上ったのは02年の終わりだった。この段階で光法は「3年後には三役になっているかもよ」と予言し、実際に05年には新小結、新関脇と見事に的中してみせた。
「嫌だ。絶対に帰らない」と大泣きして動かんかった
その存在を初めて意識したのは、初の取材からさかのぼること1年以上前だった。力士になることを志し、00年秋に15歳で来日後の白鵬がしばらく身を寄せた大阪府の実業団相撲部「摂津倉庫」幹部がふと漏らした言葉だ。
当時は横綱貴乃花の引退直後で、モンゴル出身の朝青龍が入れ替わるように頂点に立った。この幹部は若い日本人力士の足踏みを嘆きつつ、異文化で精進する外国出身力士勢の根性を称賛していた。その話の流れで「知らんかもしれんが、まだ三段目の白鵬君なんかすごいもんやで。体が細くて入る部屋がなくて、モンゴルへ戻そうかという直前に『嫌だ。絶対に帰らない』と大泣きして動かんかったもんな。何となく入る子が少なくない日本人とは覚悟が違うわ。あの子はものになると思うで」との逸話を披露。当時は全体像をつかめずに深掘りしなかったが、頭の片隅には残っていた。
「先物買い」の紹介で向かった03年九州場所最終盤の朝は、快晴ながら師走目前にふさわしい寒気に包まれていた。福岡市博多区千代の宿舎から少し歩いたところにある白いテントが稽古場だった。中に入ってパイプ椅子に座ると、思わず息をのんだ。187cm、118kg、東幕下9枚目で18歳の白鵬が醸し出すオーラに圧倒された。土俵周りでのすり足では小さな歩幅でゆっくり進むかと思えば、大股で高速ダッシュ。長身で懐が深く、胴長短足の体型は力士として理想的で、長いリーチはどこからでもまわしが届きそうだった。稽古終了時に土俵内でそんきょをしながら黙想をした後、両腕をゆっくりと左右に広げて天井へと伸ばした姿は、まるで青空のかなたへと飛び立っていくようだった。