「28歳でも伸びしろはまだある」と脱皮を期待
元マネジャーの松田氏は琉球大相撲部から大相撲初の国立大出身力士として話題を呼び、61歳となった今も四股を探究している。4月に武道雑誌の企画で二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)と対談した際、話題は自然と朝乃山になったという。同親方の「左足が流れる癖がある。体の軸をつくってほしい」との助言を翌朝の稽古場で伝えると、さっそく軌道修正に取り組んだ。
「なかなかすぐにはうまくいきませんね。難しいです」と朝乃山は苦笑いしたが、先輩の目にはこの素直さと積極性に活路が浮かんだ。
「言われたことをすぐにやるという姿勢が何よりでしょう。ここまで落ちたことで新たな可能性が出てきた。もともとは体のバランスが良く、28歳でも伸びしろはまだある。ここからもっともっと絞り込んで、全身に筋金を入れてほしい」
と脱皮を期待した。
初心に帰れば、新たな土俵人生は実り多きものに
元横綱千代の富士の先代九重親方は生前、何度も苦しんだ両肩の脱臼を克服した経験を踏まえ、こう力説した。
「けがは治すだけでは駄目。治して、痛める前より強くならなくてはいけない」
実際に“ウルフ”は鎧のような筋肉をつけ、投げに頼る強引な取り口から左前まわし速攻へモデルチェンジ。一時代を築く大横綱になった。
朝乃山も自らの不始末で痛手を負った時間を糧とし、過去を超えられるような力士になれるか。もちろん例の一件を許していないという人も角界内外にいるから、反省と自戒の日々は今後も変わらない。ただ勝負の世界で生きていく以上、その上で目の前の闘いに勝つことが周囲に対するせめてもの恩返しとなる。照ノ富士に5戦全敗と歯が立たず、ここ一番に弱かった「大関朝乃山」。松田氏は「おじいちゃんとお父さんが亡くなったことを、まだ多少引きずっているところがある。笑顔は完全に戻っていない。大関に戻って初めて、本当に笑えるのかな……」と遠い視線を向けた。
どん底に落ちたのは昨年の初夏の頃。そこから夏、秋、冬、春と季節が一回りし、朝乃山は帰ってくる。何周しても終わりのない土俵に立ち、巡り来る四季をかみしめながら正念場は続く。近い知人に漏らした言葉は「這い上がります」―。しこ名の名前は高校時代の恩師の「英樹」から、父が名付けた本名の「広暉」に改めた。生まれ変わり、初心に帰れば、新たな土俵人生は実り多きものになる。