7月21日放送の音楽特番「LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP」(フジ系)。これが吉田拓郎(76)の最後のテレビ出演となった。

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「吉田拓郎としての歌が歌えなくなった」

 吉田は6月29日、最後のアルバムと銘打った「ah-面白かった」をリリース。12月にはラジオ番組「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」(ニッポン放送)も終了し、年内をもって52年の音楽人生に終止符を打つ。

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 音楽評論家で尚美学園大副学長の富澤一誠氏が語る。

「本人が語っているように、シャウトができなくなり、吉田拓郎としての歌が歌えなくなったというのが大きいと思います。歌いたいことだけを自分の言葉、曲、声で歌ってきた。好きなことをやって生きるという姿勢は、私たちリスナーに大きな影響を与えました」

 1970年、20代前半で広島から上京した吉田は、「イメージの詩」でプロデビュー。「結婚しようよ」「旅の宿」などをヒットさせ、「フォークの帝王」と呼ばれるようになる。

1979年、日本青年館で熱唱する吉田

「75年に静岡のつま恋でかぐや姫と開いたオールナイトコンサートには約6万人が集結。さらに日本初となる単独全国ツアーを行うなど、フォーク歌手として初めてアイドル的な人気を得ました」(芸能記者)

たくさんの女性と浮名を…

 恋多き男でもあり、女性ディレクターや編集者など業界人と浮名を流した後、72年にフォークグループ「六文銭」のメンバーの四角佳子(70)と結婚。一女をもうけるが、75年に離婚する。直後の77年、四角との結婚当時から噂があった女優の浅田美代子(66)と再婚するも84年に離婚。やはり不倫報道があった女優・森下愛子(64)と86年に再々婚して現在に至る。

森下とは36年間連れ添う

 芸能ジャーナリストの二田一比古氏は四角との結婚当時、別居説をキャッチすると、目黒区の高級住宅地にある自宅を訪ねた。

「一人で家にいた拓郎さんに半ば引きずりこまれました。彼は巨人―広島戦のナイターを観ながらビールを飲んでいた。私は拓郎さんが家を出ていたと思っていましたが、実際は逆で奥さんが家を出ていたのです。野球に夢中でこっちのことは無視。CMになってやっと別居について訊くと『そんなことない。今、(妻は)出かけてるんだ!』と酒が入った広島弁で怒鳴られ、怖かった(笑)。野球中継が終わると『じゃあ、帰っていいぞ』と解放されました」

 芸能活動ではラジオDJとして若者の“教祖”的存在になるも、テレビ出演は一貫して拒否。「1曲丸々歌えないし、歌番組でヒットさせるやり方はもう古い」というのが理由だった。