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「独りぼっちは決して寂しいものではない」76歳でリタイアする吉田拓郎の「終活」

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「LOVE LOVE あいしてる」出演後の変化

 だが96年、50歳の時に音楽バラエティ「LOVE LOVE あいしてる」の出演オファーを受諾。メインはジャニーズ事務所所属のKinKi Kidsだった。

「プロデューサーに熱心に口説かれて出たものの、当時のキンキはレコードデビュー前の人気出始めの頃で、拓郎からしてみれば『誰、それ?』という感じだった。しかし、恐れず懐に飛び込んできたキンキの二人に心を開くようになり、一緒に演奏するときに飛んでくる若い女性からの声援が嬉しかったそうです。その後、自身の音楽制作やコンサートも、番組で組んだバンドメンバーと行っていくようになります」(前出・記者)

 一方でベンチャー精神も持ち合わせる吉田。75年、「自分たちの手で作品を送り出したい」と日本初のアーティスト自身が経営するレコード会社「フォーライフレコード」を設立した。

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フォーライフレコード発足会見。(左から)泉谷、井上、小室、吉田

「“アーティスト本位”のレコード会社という理想を掲げ、小室等、井上陽水、泉谷しげると拓郎の4人で設立したが、後進のアーティストをなかなか育てられなかった」(音楽関係者)

 99年、吉田は社長も務めたフォーライフレコードとの契約を終了。同社は01年に解散した。

「拓郎はその後、小室など親しかった人との付き合いを断ちました」(同前)

“引っ越し魔”で上京してから十数回、転居を繰り返す

 そんな吉田の人生観を変えたのが、病との戦いだった。03年には肺がんとなり、肺の3分の1を切除。

「がんは初期のものでしたが、初めて命の危機に直面した拓郎さんは大きなショックを受けた。再発に怯える中で鬱病も患った。14年には咽頭がんも見つかり、放射線治療に苦しんだが、妻の森下さんが『必ず完治する。1日、1日だから』と支えていました。彼女は母親の介護問題も抱えながら、夫に尽くしていたのです」(音楽業界関係者)

 吉田は闘病生活を送る中で、徐々に“終活”をスタートさせる。最初に手をつけたのが不動産だ。

 “引っ越し魔”だった吉田は上京してから十数回、転居を繰り返した。90年には森下との新生活のため、目黒区に地下室付きの延床面積220平米超の豪邸を建設。だが、わずか2年後には神奈川県逗子市の海から少し離れた高台に同規模の家を新築して引っ越した。近所の住人が語る。

「奥さんのお母様も一緒に3人で暮らしていたようですが、住んでいたのは1年ほど。その後は外国人などに貸していたみたいです」

 その後、99年に港区の150平米超、推定3億円の新築マンションを購入。ようやく腰を落ち着けた。