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「何も終着駅じゃないよ。こっから出発点だ」“甲子園優勝の夢”を失った明徳義塾の選手たち…落ち込む彼らを鼓舞した「馬渕監督の言葉」

『コロナに翻弄された甲子園』 #2

2022/08/06
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 馬淵の言葉を聞いて涙を流す選手もいた。無理もない。明徳義塾に来て、一番の目標は「甲子園大会の全国優勝」だ。それにもかかわらず、そのチャンスを手放すことになってしまうのは無念以外の何物でもなかった。

 明徳義塾で3年間の野球生活を終えた選手たちは、卒業後に大学に進学して野球を続けるものが多い一方で、たとえレギュラーであっても、高校を卒業した後は本格的に野球をやるのは高校までで、大学に進学したらサークルの準硬式、もしくは軟式野球で楽しんでやると考えている選手もいる。実際、「高校で野球はやり切りました」と悔いなく卒業していく選手もいると言う。

 一部の識者のなかには「高校野球だけが人生のすべてではない。大学やプロで活躍の場があるではないか」という類の意見を主張する方もいるが、高校で野球を終えようと考えている選手にしてみればお門違いの発言だ。

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 甲子園に出場した後、高校での野球活動を終え、その後の人生では大学に進もうが、あるいは就職しようが、普通の大学生や一社会人として人生を歩む人のほうがむしろ多いかもしれない。それだけに、「高校野球で甲子園を経験して、その後の人生の糧になるものがあればいい」と馬淵は考えている。

 けれども、センバツ中止という一報を受け、その目標は立ち消えてしまった。馬淵や選手にしてみれば、言い表せないほどの喪失感のなか、このときは「夏に向かって目標を切り替えていこう」と考えるほかなかった。

 その後も新型コロナウイルスは人間の事情や思いなど汲み取ってくれるはずもなく、人から人への感染が止まらない。当初は首都圏、都市部だけが危ないとされていたが、次第に全国へと拡大していき、それが野球部の活動にまで影響を及ぼしていった。

緊急事態下の明徳義塾

 4月7日に日本政府から緊急事態宣言が発出されると、学校側もこれにならって、各部活動におけるルールの徹底を言い渡すことになった。当然、野球部もこの対象となった。

 まず、「対外試合は止めてほしい」と学校側から言われた。県境をまたぐことはもちろんのこと、相手を招いての試合も学校側がストップをかけた。コロナ以前の年であれば、高知を出て練習試合をすることは通例だったが、どちらの学校も行き来できないとなれば、チーム内で紅白戦を行うほかに試合をする方法はなかった。馬淵ら野球部の指導者はこれに従った。

 これだけにとどまらず、やがて日常の学校生活にも影響が出始めた。明徳義塾の生徒たちは、高知県須崎市で緑豊かな山々に囲まれた本校の堂の浦キャンパスと、太平洋を見渡せる竜キャンパスの2つの敷地内で寮生活を送っている。寮制度の原点は、イギリスの伝統的なパブリック・スクールにある。多くの教職員が学校の敷地内で生活していて、朝礼から夜の学習時間まで可能な限り生徒との時間を共有している。

 明徳義塾の1日は毎朝6時30分に寮内に流れる起床の音楽から始まる。その後は15棟ある寮ごとにグラウンドに集合し、全員で朝礼とラジオ体操を行う。その後、全員が食堂に集まって食事をするのだが、コロナになってからは3班に分けて食事をすることになった。感染対策の一環だが、これまでのようにみんなと楽しくしゃべりながら食事をするのではなく、黙食を奨励するようになった。