夫の顔を眺めると夜の生活の気持ち悪さが……
クス子は風呂上がりの夫のシミのある背中、毛の生えた首筋、胸のホクロ、腹のたるみなどを目にするだけでも夜の生活の気持ち悪さがよみがえり、顔がこわばり食欲がなくなる。「早くシャツを着てよ」と声をかけることすら、気持ち悪さから喉が詰まる。少しでも早く夫の裸が隠されるようにという思いから、夫が風呂に入るとすぐに下着などを風呂場のドアの前にわかりやすく置き、風呂場から出た夫が衣類に必ず気がつき、着替えをしないまま部屋を歩き回らせないようにするほどだ。
夫は両親に似て言葉数は少ないが生活に必要なことはちゃんと話してくれる。長男、長女の家族のこと、世の中のこと、クス子のパート先でのたわいもない出来事をふたりで笑って話すこともある。だがクス子は夫と夜の生活のことを話したことがない。明かりがついているうちから夜の生活の話をクス子から夫にするのは、ふしだらな気がしている。テレビに男女の関係を想像させるシーンが映るだけでも夫の顔を見ることができないのだ。
男女の関係というのは夫婦間では当たり前にすることだとはクス子も知っている。だから結婚して子供を持った。だがそれは60代の夫婦になってもしなければならないのだろうか。夫の顔を眺めると夜の生活の気持ち悪さが心に浮かび、こんなことに悩む自分がおかしいのだろうか、という気持ちにもなる。夫が退職し家にいる時間が長くなるとパートのシフトを多めに入れるようになった。
クス子の人生にとりたてて不幸はなかった。夫の稼ぎは安定し経済的に困らず、子供たちにはそれぞれ望む進学をさせてやることができた。夫から手を上げられたこともなければ、家事や育児への不満や苦言を受けることもなかった。子供たちが小さかった頃の誕生日やクリスマス、里帰りの家族旅行は家族団らんの良い思い出となっている。だが、夫婦ふたりの生活になった今、夫の存在は夜の生活の気持ち悪さを際立たせるものでしかない。
パートが終わり家に帰り、夕食の支度をして夫と食べる。夫が先に風呂に入って、そのあとにクス子が入る。夫が見ているテレビのニュース番組の終わりが近づくと、「また並んだ布団に寝なければならない」と心がこわばり始め、こんなことを気にする自分への情けなさに息が詰まる。そんなときクス子の頭には「離婚できたら」という言葉が浮かぶ。