1ページ目から読む
3/4ページ目

 その筆頭が稲田だった。安倍の寵愛を受けた稲田だが、防衛相在任時の失言やPKO部隊の「日報」問題で醜態を晒し、失脚。安倍は周辺に「清和会に総裁候補がいないから、育てようと思った。『女性初の首相』の看板も立つと考えたんだが、任に堪えなかったね」と漏らした。

 そんな経緯をすっかり忘れた稲田は「本気で次の総裁選に出馬したいんです」と理解を求めた。安倍は「焦らなくていい。次は派として岸田さんを推すことも検討しているからね」と説得したが、稲田は「能力は岸田さんには引けを取らない」と抗弁した。安倍は周辺に「あんな失敗をしたのに、自分のことが分かってない」と呆れ顔で漏らした。

 さらに西村康稔、世耕も安倍のもとを訪れ、総裁選出馬の意向を伝えた。だが安倍はこの2人にも自重を促し、「どうしてもと言うならまずは自力で20人の推薦人を集めてみたら」と言って追い返した。

ADVERTISEMENT

下村氏 ©文藝春秋

菅、岸田ら年上に可愛がられる「ジジ殺し」

 この3人より早くから安倍側近を自任してきた下村も総裁選立候補に意欲を示してきたが、もちろん派内に待望論は起きていない。それでも空気が読めない下村は、安倍死去からわずか3日後のBS日テレの番組で、内閣改造・党役員人事をにらみ「岸田首相が清和会を軽視するようなことがあれば、清和会が掴んでいる保守層からの支持を失う可能性がある」と、さも安倍派を代表するかのような口ぶりで岸田を牽制してみせた。下村の頓珍漢な感覚に、派内からも嘲笑と批判が交錯する有り様だった。しかも下村を巡っては、安倍銃撃事件のきっかけとなった世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の名称変更で、文科相当時の関与が指摘される始末である。

 一方、安倍が目を掛けてきたのが経産相の萩生田だ。西村より一期下ながら安倍内閣では西村より前に若手議員の登竜門である内閣官房副長官に起用され、文科相として初入閣したのも経済再生相として入閣した西村と同時だった。森や官房副長官当時の上司で官房長官だった菅、岸田ら年上に可愛がられる「ジジ殺し」。下村や稲田と違い、萩生田だけはトップを目指す考えを決して口にしないところも安倍や森に気に入られていた。安倍は親しい記者らに「萩生田はうちのエースだ」と明言し、岸田内閣発足にあたっては官房長官への起用を希望していた。