生前、安倍氏が「落ち着きのない人だね」と評した男
派閥幹部が並ぶ一角は遺族のいる場所と近接するため、弔問客との会話は最低限の挨拶に留めざるを得ない。しかし西村は、弔問客と一対一でゆっくり話ができる場所に陣取っていたのだ。通夜・葬儀の実務を取り仕切る事務総長の立場を利用して自分だけ良いポジションを確保し、派閥を支援する経済人らに自分をアピールする――。他の幹部たちは一様に眉をひそめた。
西村は安倍派の意思決定機関として世話人会方式を画策した。西村に加え、塩谷、下村、官房長官の松野博一、参院安倍派会長の世耕弘成、国対委員長の高木毅、そして萩生田の7人体制である。森にも根回しし、7月15日夕刻にセットした臨時の派閥総会で了承を得ようと動いた。だが、安倍が生前、西村を「落ち着きのない人だね」と評していた通り、性急な動きはすぐに頓挫する。
「国葬までは、安倍さんが残した現体制を堅持するのが筋ではないですか。喪中の最中に、なぜ新設の世話人会なのか、説明がつかない。私は反対します」
かつて派閥会長だった三塚博元蔵相の秘書から後継に転じた西村明宏が松野や安倍派最高顧問の衛藤征士郎らに説いて回ると、新たな世話人会メンバーの大半が賛同。安倍政権の最後、西村康稔の後に官房副長官を務めた西村明宏は、温厚篤実な人柄で同じ西村でも康稔とは対照的だ。康稔の自分ファーストな言動は、とりわけ中堅以上の議員には嫌われ「彼だけは担ぎたくない」と公言する議員も少なくない。
その結果、派閥総会はいったん流れ、翌週に「現体制の継続」が了承された。どちらも集団指導体制には違いないが、世話人会方式で主導権を握ろうとした西村康稔の思惑は外れた。安倍の死からわずか1週間前後のこの暗闘は、派の行く末を暗示する派内政局だったのだ。
舞い上がる小物たち
2017年、安倍は父親の命日の5月15日に元晋太郎番記者らが開いた「安倍晋太郎をしのぶ会」に出席。そこで「新たな四天王は誰か」という話題になった際、下村、松野のほかに元防衛相の稲田朋美の名前を挙げていた。直後の派閥の政治資金パーティーでは「昔の記者の人達から名前が出た」と言い訳したが、当選回数の多い下村と松野、女性の稲田の名前を挙げておけば派内からの不満が比較的小さいと、咄嗟に思いついただけだろう。
だが、名前を挙げられた3人は舞い上がり、地味な存在の松野ですら、岸田内閣で官房長官に起用されると「松野さんまで『自分も首相候補だ』と本気で考えるようになった」(派閥の中堅議員)という。
後継争いの予兆は2020年春からあった。安倍が首相続投の意欲なしと漏らすようになった途端、「派閥代表として総裁選に立候補したい」と安倍に直訴した議員が3人も出たことはあまり知られていない。