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約15年前に始まった「南方プロジェクト」

「南方プロジェクト」と名付けられた開発は約15年前の2005年、クラスノダール州の手付かずの自然が残る、黒海沿岸の森林地帯で始まった。当時はプーチン政権2期目にあたる。石油ガスの値が高騰し、ロシアが高度経済成長を続けていた時期だ。「子供用のキャンプが建設される」という触れ込みで突然フェンスがはられ、周囲は立ち入り禁止になった。しかし、それはすぐに嘘と分かった。この地域には水道が通っていなかったし、断崖絶壁の沿岸は危険すぎて、海水浴には不適切な場所だったからだ。

 2010年には、南方プロジェクトの開発に携わった実業家、セルゲイ・コレスニコフ氏がこの開発がプーチン氏のために行われていることを暴露した。コレスニコフ氏は当時のメドベージェフ大統領宛てに、プーチン氏の仲間であるオリガルヒ(新興財閥)や利権を与えられた側近らが汚職にまみれた資金を投入しているとして、そのからくりを記した公開書簡を発表した。その中に「南方プロジェクト」についても語られていた。その後、エストニアに亡命し、欧米メディアのインタビューに答え、「ロシアには皇帝がおり、その皇帝に従わなければ、奴隷になるしかない」と訴えた。

プーチン大統領はナワリヌイ氏の告発を全否定した

 2011年には敷地内部に、環境保護活動家が侵入し、宮殿の外観を撮影することに成功した。途中、活動家は警備員に捕まり、持ち物を全て没収されたが、靴の中に写真のデータを収めたフラッシュドライブを隠し、外部に持ち出すことができたのだった。

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 その活動家はロシアのメディアに対し、この警備員はロシア連邦保安庁(FSB)の要員だったと答えた。「なぜFSBがこんな場所を警備するのかと聞いたが、対応した要員たちは誰も答えられなかった」という。

「プーチン宮殿」は黒海沿岸にあり、2005年から開発が進められた。邸宅の奥にはヘリポート付きのアイスホッケーリンクも見える ナワリヌイ氏のユーチューブチャンネルより

 一方、ナワリヌイ氏はこれまでも独自調査でプーチン政権と与党幹部らの不正蓄財を次々と暴露してきた。その都度、全国で大規模な抗議デモが起き、無許可の違法デモを呼び掛けたとして何度も逮捕されている。反体制政治家としての存在感は増してきており、目下のところ、プーチン体制に歯向かう急先鋒である。