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2022/08/15

 天皇主権説の論者の代表の一人である穂積八束東京帝国大学教授は、自身の憲法学の教科書である『憲法大意』を井上毅から依頼されて執筆し、その序文を伊藤博文に依頼した。しかし伊藤は穂積とは意見が違う、として拒否したという。これはまだ伊藤が政党政治に関わるはるか前で、憲法を作ったばかりの超然主義を唱えていたころであるから、伊藤の立憲主義的な思想にそもそも合わなかったのだろう。

 ちなみに、穂積は彼の論文である「国体の異説と人心の傾向」において、三権分立について「憲法の敵は専制の政府である」とし、「政府と議会との間は分権を主持し各々独立対峙して相侵さざらしむるは、各々憲法上の権能に由りて他の権力の専制に流るるを防がんとするのである」と述べている。

 この穂積の言について坂野潤治氏は、「多数党による少数意見の無視の連続を見せつけられた今日では、穂積の三権分立論にも妙に惹かれるものがある」(『明治憲法史』)としている。2010年代から2020年代初頭の10年近くに及ぶ政治の議会軽視の異常な状況を的確に表現した言であろう。

「緩慢なる謀反であり、明らかなる叛逆である」

 穂積の唱える天皇主権説と美濃部の天皇機関説は1910年代に政党政治が一般化する中で政界・官界では天皇機関説が有力となり、政党政治を支える理論的支柱となる。

 一方天皇主権説は軍部(特に陸軍)および教育界に支えられ、国家主義の高まりの中で立憲主義を排撃する時の理論的支柱となる。つまりこの問題は大日本帝国憲法が立憲主義に基づく「憲法」であるのか、それとも「憲法」という名前の別の何かであるのか、をめぐる議論であった。

 昭和10年(1935)2月18日、帝国議会の貴族院本会議で貴族院議員の菊池武夫議員(男爵議員・予備役陸軍中将)が美濃部達吉貴族院議員(東京帝国大学名誉教授・帝国学士院会員議員)の天皇機関説を「緩慢なる謀反であり、明らかなる叛逆である」と指弾した。それに対して当時の岡田啓介首相(予備役海軍大将)や松田源治文部大臣(衆議院議員)は、学説は学者による討論に委ねるべき、と答弁した。

 25日に美濃部は菊池への反論演説を行っている。岡田による要約では次の通りである。

「これは著書の断片的な一部をとらえて、その前後との関係を考えずになされた攻撃である。わたしは君主主義を否定してはいない。かえって天皇制が日本憲法の基本原則であることをくりかえし述べている。機関説の生ずるゆえんは、天皇は国家の最高機関として、国家の一切の権利を総攬し、国家のすべての活動は天皇にその最高の源を発するものと考えるところにある」(『岡田啓介回顧録』)