この美濃部の演説の冒頭部分は実際の美濃部の言葉では次のようになる。
私は菊池男爵が憲法に付てどれ程の御造詣があるのかは更に存じない者でありますが、菊池男爵の私の著書に付て論ぜられて居りまする所を速記録に依って拝見いたしますると、同男爵が果して私の著書を御通読になったのであるか、仮りに御読みになったと致しましても、それを御理解なされて居るのであるかと云うことを深く疑う者であります。
恐らくは或る他の人から断片的に、私の著書の中の或る片言隻句を示されて、其前後の連絡をも顧みず、唯其片言隻句だけを見て、それをあらぬ意味に誤解されて、軽々に是これは怪しからぬと感ぜられたのではなかろうかと想像せられるのであります。
かなり“上から目線”で菊池議員を貶すような演説であるが、菊池議員も美濃部の演説を聞いて「それならよろし」と一旦は納得した。これで沈静化したかに思われたが、続いて江藤源九郎衆議院議員(予備役陸軍少将)が岡田首相の見解を質したことから問題が再燃した。岡田は「誤りがあるとは思わない」と答弁し、美濃部を擁護する姿勢を見せたが、それが政友会による政府批判の格好の口実となった。
「総理は日本の国体をどう考えているか」という質問に岡田は「憲法第一条に明らかであります」と答え、「では憲法第一条にはなんと書いてあるか」と聞かれると「憲法第一条に書いてある通りであります」と答える、というのを何回も繰り返したという。のらりくらりとはぐらかすことでこの事態を乗り切ろうと考えたのだろう。
しかし江藤が美濃部を不敬罪で告発し、在郷軍人会の圧力も増す中で陸軍大臣林銑十郎陸軍大将は美濃部の取り調べを政府に要請、それに基づき美濃部は出版法違反で取り調べられるようになった。
岡田内閣が画策した“トカゲの尻尾切り”
岡田は陸軍による圧力について次のように言っている。
機関説問題については、陸軍の態度はだんだんにはっきりしだして、「国体観念に疑惑をいだかせるような学説には絶対に反対である。第一こういう問題についてはっきりした処置を決めなければ、兵士の教育にさしつかえがある」と、政府に迫るようになった。
こちらが陸軍大臣に期待するところは、軍のそういった動きを押えてくれることなんだが、林は、その点ではどうもたよりにならなかった。この問題だけではなく、たいていの場合そうだったが、一ぺん閣議で承知していることを、すぐあとでひっくり返す。陸軍省へ帰ったあとで、電話をよこして、さっき言ったことは取り消す、とこうなんだ。(『岡田啓介回顧録』)
その理由について、岡田は林が若い軍人を抑えきれていないところに求めているが、林や大角岑生海軍大臣の言い分が3月16日には「かかる説は消滅させるように努める」と「行き過ぎたもの」となっていき、岡田としては閣内不統一を恐れて陸軍の強硬意見に押し切られてしまった、と後悔している。